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活動と予定 2014 - 2015年report


八起会 12月忘年会 (2015/12/20)



12月は、毎年恒例の忘年会。
今年は、残念なことに野口会長が体調を崩され欠席されましたが、会員25名が集まり、楽しいひと時を過ごしました。

(その様子は、会員HPに掲載しております。)


八起会 11月例会 (2015/11/21)


「定年後は田舎が良いか、都会が良いか」というテーマで、八丈島に住まれるT会員にお話いただきました。

10年前に八丈島で古民家を購入し、リフォーム。
囲炉裏、掘りゴタツ、かまどご飯。
畑で取れた有機野菜を食べ、時にはウッドデッキでパンやピザ。
月に一度は、近所の皆さんとバーベキューを楽しむ・・・
まるで理想的に思える田舎暮らしをしていますが、もちろん、困ることも。

新潟で生まれ、自然に囲まれて育ってきたが、18歳で上京してからは都会暮らし。
健康食品の会社に長年勤め、多くの人に健康になる方法を伝えてきた。

特に食の大事さ。「一物全体、身土不二」「食保に勝る、薬保なし」と言われるように三度の食事は薬より大事。
皆さんにあまり知られていない食の健康法があります。
喘息にレンコン、玉ねぎの皮を煎じて飲めば血圧を下げる。トウモロコシのひげを煎じて飲めば利尿剤になど。

健康を進め、健康を売ると言う立場ながら、自分はまるで逆の生活。
営業としてトップを目指し、部下を鼓舞して実績は上げたが、食べ過ぎ、深酒、夜更かし・・・56歳で倒れる。

脳血栓の病気。これは惨めな病気で、食べ物はぽろぽろこぼすし、しゃべることができない。
その時は死んだほうがマシと思った。

そんなとき、娘に言われた「残りの人生は、景色の良いところでゆっくり生きたらどうか」。
「温泉があり、あたたかく、病院があって、不動産が安く、東京都の中」そんな条件を並べて、良い場所を探すことにした。
いろいろと探し、最後に見つけたのが、八丈島だった。

最初は快適だった八丈島。しかし、2ヶ月もするとやることがない。
農業を学ぶ意味も含め、思い切って地元の八丈高校園芸科に入学した。
孫のような同級生と、野菜作り、土壌作り、食品製造、バイオテクノロジー、花の栽培など様々なことを学んだ。
卒業後は、シルバー人材センターの紹介で、八丈島の資料館の受付の仕事をしている。

さて、島の暮らしは良いことばかりではない。

一番目に困るのが、悪天候。飛行機でも船でも悪天候になれば、欠航になる。
東京で用事があったら、一日前に来ておかないと危ない。帰りが一日遅れることもある。ホテル代が高く掛る。
船での移動はとんでもなく揺れて、大きな船でも船酔いを起こす。

二番目は虫。
今の季節なら、ヤスデが夜たくさん道にいる。踏んでしまうと油ですべるし、臭い。毛虫も多い。
通年入るのが、カタツムリ。野菜をどんどん食べてしまう。撒きたくない農薬を撒かなければいけない場合がある。
羽蟻の季節には、夜電気を消して寝ないと、ものすごい数が家にくる。
下駄箱に蛇が入ってきて、大騒ぎになったこともある。

三番目は資産価値の下がり方が酷いこと。
都会のマンションなら、早々相場は下がらないと思うが、こちらで買った家は半値にしても買う人がいない。
こちらで家は買うべきでなかった。東京のマンションを人に貸し賃借料を得て、島では家を安く借りればよかった。

もちろん、良いことも多い。

今日、ゆくところがある。今日、やることがある。
島では気候も安定していて、冬も寒くないし、夏も都会ほど暑くならない。
自分としては、ずっと島で暮らしたい。ただ、年に2回くらいは東京にくるのが理想。

【野口会長の言葉】

皆さんにお聞きしたいが、
田舎で暮らしたい人、手を上げてください。(結果、0人)
都会で暮らしたい人、手を上げてください。(結果、10人)
(迷っている人 10数人)
都会で暮らす、田舎で暮らす。皆さんが思う意見、それぞれ正しいと思います。

さて、Tさんのお話。田舎に魅力を感じた人には参考になったかと思います。
Tさんは、計画的で判断・決断が良かった。特に高校に入ったこと。

「還暦過ぎての高校生」は、町でも評判になったことでしょう。
自ら宣伝などしなくても、それだけで皆さんが打ち解け、まじめな人だと信用が広がる。
そうなれば、何を話しても何をしても大丈夫。
信用を作ってゆくのはとても大切なこと。よそ者を嫌う土地柄もある。

私の娘も田舎に嫁いで行きましたが、旦那さんを信頼し、愛しているから、どこにでも行けた。
そういう点で女性は強い。旦那さんの兄弟や親戚と仲良く付き合っている。

さて、全国を回る仕事をしている会員のYさん。
もうじき定年なので、どこに住みたいですかと聞いたら、東北地方にということでした。
気に入った土地があるのでしょう。

私自身は、東京がいい。
中学の頃の疎開で良い思い出が無い。住んだところは牛小屋。電気も水道も無い、吉幾三の歌そのまま。
東京に帰りたくて仕方ないから、一生懸命勉強して、大学を受験した。
虫も嫌い、野菜も嫌い。畑いじりはトンでもない。こんな人間に田舎暮らしは無理。

さて、八起会では、夜逃げをしてきた人にアンケートを取ったことがあります。
田舎から逃げた人、ほとんどが東京か大阪に逃げていました。就職できるし、借金取りに見つからないと。

東京の人はどうしたかといえば、東京の中で逃げ回っていた。
人口が多いので見つからないと考えた。

最近、病気になられたN会員から手紙が来ました。
自分は田舎暮らしが理想と思っていたけれど、病気になってみると大きな病院のある都会が助かると。
病気の多い人には、都会が良いのかもしれません。
Nさんには、一日も早く元気に退院して欲しい。

八起会の事務所ですが、今回、移転することになりました。
地主が変わり、立て直すので4月までには出て行って欲しいとお願いされた。
ぐずぐず言うのもイヤなので、早速引っ越し先を見つけることにしました。

1つの場所に30年も居続けると、運気が逃げる。
今の事務所は33年もたつが、歳をとって動くのがおっくうになっていた。
そこにこの話。勿怪の幸いとプラス思考で捉えていたら・・・

上野駅のなるべく近く。下町でやりたいという希望通りの場所が、今の事務所の近くに見つかった。
今度の事務所はエレベータがあり、今の事務所よりもずいぶん楽になる。
この事務所はKさんが見つけてくれた。

何とか40周年が終わるまでは頑張る。
新しい出発に、新しい茶碗や新しいテーブルを寄付させてくださいという会員の申し出があった。
素直にありがとうと受け取らせていただきます。

新しい事務所になっても、ぜひ気楽に来てください。


八起会 10月例会 (2015/10/17)



今月のテーマは「ワンマンは善か悪か」。

「ワンマンだから成功した、ワンマンだから失敗した。良い、悪いの分岐点は?」について、皆で話し合いを行いました。

※ 今月はHP担当が休みのため詳細ありません。野口会長の言葉のみお伝えします。

社長にはすぐになれるが、社長のワンマンでは悪。経営者のワンマンこそ善。
経営者のワンマンと社長のワンマンは違う。社長のままでは失敗する。

これから自分の体験を元に、わかりやすく「悪いワンマン」を説明したいと思います。

@ 公私混同。一番悪いワンマン。ゴルフ・酒など何でも領収書に変えて、会社の金を使いまくる。
A 社員教育なし。命令だけで教育なし。ノルマを掛けるだけ。社員の幸福を考えていない。
B 反省なし。競輪競馬など遊びばかりを反省では良いワンマンになるわけがない。
C 危機感なし。赤字になっても何とかなるよ。これでは経営者ではない。
D 良質な人との人脈なし。悪友ばかりの付き合い。面白いだけの付き合い。共存共栄の心なし。他人の心配などしない。
E 還元の心なし。経営者の目的は還元であるのに、自分の金は自分のものとガメツイ。私は倒産してようやく寄付などし始めた。
F 怒りっぽい、すぐに喧嘩する。これは失敗を招く元。
G 感謝の心なし。
H 女房の言うことを利かない。うちの家内のように何でもいうことを聞いてしまうのは、経営にはマイナス。必要なときは指摘してくれる女性のほうが良い。妻のいうことを聞く度量が男には必要。
I 志なし。人徳のないワンマン。倒産して当たり前。

私は超ワンマンでこの10項目、全て悪かった。

それでも1つだけ、良いワンマンがあったとすれば子供の教育。
自分の親を反面教師にして、子供の教育だけはしっかり行った。

良い友人のいる、良い学校を選ぶことは親の務め。毎日車で送るほど遠い学校に入れた。
低学年のうちは家内に任せたが、高学年になると学校に行って、PTA会長を務め、先生とも仲良くやった。

二番目の子供がイジメに会ったときは、即転校させた。その途端に明るさを取り戻した。

子供と動物園にゆくなら普通は全員連れてゆく。しかし、私は一人ずつ連れてゆく。
いつでも子供の自由に好きな動物を見させる。子供を連れて歩くのではなく、子供についてゆく。

子供の教育だけはうまくいったと自慢できる。子供も妻も「お父さんを尊敬している」といってくれる。倒産したけれど、これだけは良かった。

社長の「悪いワンマン」10項目。今は1つもなくなった。



八起会 9月例会 (2015/09/19)




印刷業を営まれ、倒産の危機から復活された Kさんの講演会を行いました。

1935年生まれ、80才。
小学生のときから赤面症。さらに目の病気で涙腺が広がりすぎ、涙が出やすい体質なので話は苦手。

中学2年生のとき、壁新聞を勝手に張り出して起こられたことがあったが、自分の印刷人生の一歩であった。高校のときは、米軍相手の新聞社でアルバイトをした。

高校卒業後は、英語の専門学校にいった。家が貧しく学費は全てバイトでまかなった。
バイトは進駐軍の使い走り。自転車で都内のどこにも行った。

その後、印刷屋になるため町工場に修行に入った。
ここで、生涯の趣味となる将棋にであう。当時の昼休みは他に娯楽がなく、とにかく将棋ばかり指していた。
若い頃は頭の中に将棋版を10個入っていた。3段の腕前までゆき、5段に勝ったこともあった。
ある新聞主催の東京代表大会にも参加したことがある。

1964年の東京オリンピックまでは、とても儲かった。印刷屋全盛期の時代。
30代になり、職人としての細かい仕事が嫌になってきた。当時は文字を1つ1つ拾って活版を作り上げる。大変な仕事だった。

35歳で自分の工場を持ったが、オイルショックで紙がなくなるという大きな経営危機に見舞われた。
仕方なく、他の工場の工賃仕事で糊口を凌いだ。

第二次オイルショック以後は、活版の時代から平版の時代に。さらにオフセットへと印刷の主役が移り変わり、今までの機会が使えなくなった。

追い討ちを掛けるように得意先の倒産。
家内のタイプ仕事で行き乗ったが、家賃も給料も出せない状況まで追い詰められた。

その後、思い切ってオフセット印刷に乗り出し、少しずつ復活することができた。
活版印刷を続けた同業の仲間たちは、どんどん廃業・倒産していった。

(文面には載せませんが、その後、Kさんの同級生、Sさんが川柳についてのお話をされました)


【野口会長の言葉】

この時期になると思い出すことがあります。倒産しかかったある私立高校を助けたときのお話。

男子のみの私立高校。積もって借金が2億。
コンサルに入って、まず行ったことが合格者300人のところを350人採ることに。
先生には反対されたが、統計を見ると毎年夏休みまでに80人がやめていた。それならその分大目に入学させればいい。

次に行ったのが、来年の受験生を増やすこと。中学校を回り、挨拶していった。
「理事長と理事が挨拶に来た」「こんなことは初めて」と大歓迎。
「うちの学校は、こんな特色があります」と説明してゆき、受験生は前年の倍に。受験料が増えた。

後は、どう辞めさせないか。危ない生徒には必ず家庭訪問させた。辞める生徒も激減した。
2億の借金は、ほどなく返すことができた。

本日のKさんとご友人の方は、80才。戦前の教育を受けている。
戦前の教育とは「修身・道徳」。なんとか復活させて欲しい。
教育勅語はすばらしい。愛国心・礼儀作法・親孝行・目上を敬う。

新聞雑誌が自殺者3万人という。これを減らすには修身を復活させればいい。
NPOが自殺防止をしても、根幹から変えないとダメ。

Kさんのお話、赤面症というがとても上手かった。涙が出るのは武器。客が感動する。
Sさんのお話、川柳はとてもいい。笑顔を作る、家庭円満につながる。
自分で作らなくてもいい。他の人のものを覚えて話す。10に1つ笑えればいい。
個人的には、将棋がダメ。時間の掛かるものは大嫌い。すぐに勝負が決まるメンコ・ベーゴマばかり遊んでいた。

友達は良いものだが、商売相手だと難しい。お客様や、仕入先、下請け業者。
調子の良いときはいいが、倒産すれば誰も来なくなる。これは本当の友達ではない。

このお二人は良質な付き合いだが、悪友との付き合いは時に人生を破壊する。
友達を選ぶのも大切なこと。マイナスになる人なら、付き合いを避ける。
学校時代の友人は欲も誤魔化しもない。

ところで、親友ってなんでしょう?その定義は?

自分流に言えば、病気のとき、心配して何度も来てくれる人。
大抵、一度は見舞いに来る。しかし、2度来てくれるほとんどいない。2度来てくれる人が何人いるか。

本日は、お二人に親友とはなにか、教えていただいた。


八起会 8月例会 (2015/08/22




「遊びの功罪」をテーマにグループ討議を行いました。

提示された5つのテーマについて、4つのグループが発表しましたので、その一部を紹介します。

@ 男を磨く遊びとは?
・男を磨くのは、女である。
・酒。単に飲むだけでなく、経営者同士の懇親の場なら、遊びと同時に学び。

A もてる男の遊びとは?
・お金の使い方が上手い人。
・引き際が綺麗。金払いが良い。
・粋な遊び。小唄端唄など。

B 功ある遊びとは
・マージャンのようにグループで遊び、友達ができること。
・人脈が広がる遊び。

C 罪ある遊びとは
・女遊び。
・人に迷惑をかける。
・他人の金品を奪う。(仲間同士の賭け事など)
・不倫。
・お金がかかりすぎる遊び。

D 遊びは、功あり?罪あり?
・両方ある。(特に女性関係)
・例えば、スポーツ。健康になる半面で、やりすぎて身体を壊すこともある。


【野口会長の言葉】

遊びについてたくさんの名回答がでました。
遊びですが、私は一切やっていません。倒産してからは八起会一辺倒。

元々、健全な遊びは大嫌い。将棋、囲碁、スポーツなど。
(倒産前は)もっぱら、飲む打つ買う。これは最低の遊びであり、最高の遊び。

とにかく賭け事が好きで、競輪・競馬・マージャン。365日博打と夜遊び。
昔やりすぎたので、もう十分。今、お金と時間にどんなに余裕ができても、やらない。やり過ぎたのがよかった(笑)。

小唄・端唄・長唄・日本舞踊・・・全部やった。しかし、最高だったのはお芝居。
お芝居を赤字でも頑張る役者がいるのも理解できる。
お客さんがたくさん来て、自分の芝居で喜んでくれるのが最高に気持ちが良い。

歌舞伎をやったときは、「まってました!野口大統領」と声を掛けられた。
(写真にある)この羽子板は、その時の歌舞伎を題材にしたもの。一枚一枚手書きで描いてもらった。
こんなことしていたのだから、潰れるのは当たり前。



潰れたからといって後悔はしていない。
反省して悔い改めた。悔い改めれば後悔にはならない。
今の自分は、遊びの反面教師。だから、遊んでいる人を見抜けるし、指導もできる。

やり過ぎがいけない。自分の小遣いの範囲なら問題ないが借金してまでやったら駄目。
酒とタバコのやり過ぎは、身体を壊す。
女遊びのやり過ぎは、家庭を壊す。
ギャンブルのやり過ぎは、全てを壊す。

上手に遊ぶための3要素は、@健康、A人生の師、B良妻。
健康は当然。健康でなければ遊びなどできない。
人生の師。小言をいってくれる人、何でも相談できる人がいないといけない。
良妻・・・これが一番難しい。

良妻の定義は無いから、自分が良い奥さんだと思えば良妻になるが・・・。
うちの家内はいまだに敬語で話す。夫にとってはとても気持ちが良い。
また、やきもちを妬かない。むしろ、浮気相手が妬いても、本妻は妬かない。

今回のテーマは遊びの功罪だが、大切なのは遊びよりも「遊び心」と思う。
遊び心とは「教養」のこと。倒産前は、ただ遊んでいただけで、遊び心がなかった。

遊びすぎて倒産したのだから「罪」になるのだけれど、倒産のお陰で心が変われた。
荒々しい心が、温和な心に変われた。だから結果的に「功」になった。
遊びのお陰で倒産できた。すべては良かったと今は思う。

実際のところ、多くの倒産者は遊んでいて潰したわけではない。
むしろ、仕事一辺倒。それもいけない。

「振り子の人生」と言って、仕事ばかりでなく遊ぶ。

遊びの中で良質な人と出会うこと。同じゴルフ仲間でも、悪質な人との付き合いではダメ。
休日に子供と遊ぶ、夫婦仲良く月に3回くらいは外食する。

今回は「遊びの話など聞いても仕方ない」と来なかった人もいるでしょう。
しかし、来なかった人、おおいに間違い。

Tさんも言っていたが、「粋な人」なることが大切。
粋な人とは、垢抜けた人。歳をとったら粋な老人にならないといけない。

粋でない老人は嫌われる。やかましく、昔のことばかりしか言わない。
それでは長生きする意味がない。若い人の話を聞けるのが、粋な老人。

粋な人の例を2つ紹介します。

電車で立っていたときに、目の前に座っていた若い女性が降りるときに手紙をくれた。
「なんだろう」と読んでみると、「チャックが開いています」と。
直接話すのではなく、手紙でくれる。若いのに粋な女性であった。

次は、新幹線でのこと。東京から一緒に乗った人と話しもせずに、名古屋に着いた。
自分は大阪で降りるのだが、先に下りる隣の人が一言「お先に失礼します」といってくれた。
粋な人、立派な人だ。何か話でもしてどんな人か聞けばよかった。すばらしい挨拶、今度から真似しようと思った。

これからの人生、遊び心は絶対に必要。
家族団らんのため、明るく素直な皆から尊敬される老人として生きてゆきたい。


八起会 7月例会 (2015/07/18


※ 八起会事務所に掲げられた「倒産の原因ベスト10」。 梅崎会員の揮毫


今月は、八起会の創立37年の総会を行いました。

第一部に、平成26年度の決算報告、会長、役員の選出。
決算報告は無事に承認され、会長は引き続き野口会長。役員は会長一任となりました。

第二部に、入会30年以上、会を支えていただいた3人の会員へのインタビューを行いました。
第二部のインタビュアーは、野口会長。インタビューに先立ち、以下お話されました。

本日の司会Nさんは神戸から、決算報告のKさんは京都から来ていただきました。
大変嬉しい。ぜひ、来年も来て欲い。

さて、本日は入会30年以上の方3人にインタビューします。
赤の他人が30年付き合う。これができたのは、信頼と尊敬に尽きる。言葉はなくても、理解しあえる関係。

八起会のメンバーは、一時は羽振りよく社長業をやっていた。しかし、天国から地獄。そこから出発した。皆、同じ思いをしている。これは経験者でないとわからない。

自分で買った広い家を売り払い、家賃を払う狭いアパートに。生活を縮めるという惨めな思いをした。

なんとかしっかりしたい。お金はないが、なんとか頑張って保証人や債権者に少しでも返したい。
家族に小さな家でいいから建ててあげたい。

そんな思いで元気に明るく頑張ってきた八起会会員を、私は尊敬する。
今回の3人以外でも、30年を越す人もいますし、29年目の人も多い。

八起会を守ってきてくれた人達。感謝のインタビューをしたい。

3人の生き様、生き方。質問する私がどこまで引き出せるか。
インターネットで(会員HPを)見てくれる地方の会員さん達、ぜひ、今回の結果を評価し、意見して欲しい。


【続いて、3人のインタビューがありました】(※ 会員の方は、会員HPをご覧ください)

長時間であるため、最後に野口会長が質問された「八起会の魅力について」の回答のみ掲載します。

● Uさん
(八起会の魅力は)会長・会員の皆さんを尊敬できること。出席するのが楽しい。

● KOさん
(八起会の魅力は)八起五則が一番。倒産を思い出し、謙虚に頑張れる。

● KUさん
(八起会の魅力は)心が安すまる。感謝で一杯。心の勉強をさせていただいた。己の実力を理解できた。


【以下、インタビュー後に語られた野口会長の言葉です】

本日お聞きして、3人の共通点が5つあると感じています。

(1)実行力。 思ったことをすぐにやる。ただし、経験を活かして慎重に。
(2)朝が早い。
(3)前向き。
(4)家庭円満
(5)全員が幸せ。

「幸せである」ということに尽きる。金持ちでも、成功者でも、幸せでなければ意味がない。
苦労したから、人の悲しみがわかる、素直になれる。

3人は私の宝。これからもできるだけ長生きして欲しい。
嫌な質問もあえてしたが、すでに克服しているから、答えられる。

今年は37年。八起会も40周年までは頑張りたい。


八起会 6月例会 (2015/06/20




K会員を司会とし「人脈の作り方」をテーマに学び、語り合いました。

(Kさん)「人脈の作り方」、サブタイトルは「人脈とは何か、なぜ必要なのかを考えよう。人脈はどれだけの人を知っているかでなく、どれだけの人に知られているかである」です。
「知られている」とは、信頼されていることを示しています。

誰にお世話になったのか、逆に遠慮して後悔した経験はないのか。自分は人脈に満足してきているか・・・などなど、「人脈」を中心に、自分の人生を振り返り、歩んだ道を書き出してみます。

自分は、昭和7年生まれ、13才で終戦。27年に大学入学、31年に卒業。学生時代までは学友か先生が人脈。
31年にN社に入社。ここで当時の社長にかわいがってもらったのが、人生の大きな転機。
同じ頃入社した同期の人間で、自分のように80才台で働いている人間はいない。

会社生活20年で独立。その会社は20年後に倒産。自分の場合は20年ごとに大きな節目がある。
今年は、倒産から20年目に当たる。来年は八起会入会20年を迎える。

倒産したとき、多くの人との縁が切れた。
その中でS社に入社できた。倒産したこともはっきり伝えたが、ここの社長が「Kさんの営業経験を活かして欲しい」と言ってくれた。
この社長との縁も、大きな転機になった。

さて、皆さんも人生でどのような人に出会ってきたか、紙にまとめてみてほしい。

(この後、会員各位が自分の人生で出会った人脈・人生の転機を発表しました。)


【野口会長の言葉】

最近は人生相談の電話が多い。
先日も65歳の女性から「亡くなった主人の愛人から毎日迷惑電話を掛けられて困っています」という相談を受けた。
その愛人は、電話を掛けてくるだけでなく、時々家の前でどなりつける。しかし、いつ来るかわからないこともあり、警察に相談しても聞いてくれるだけという。
このような相談に皆さんはどう答えますか?

Nさん「思い切って彼女(愛人)の話をじっくり聞いてみてはどうでしょうか。」それも良い手かもしれない。

私の場合は、一年中留守番電話にしていて、知り合いからの電話だけに出るようにしてる。
そうしないと、とにかく売り込みの電話ばかり来る。「マンション売りませんか」と。

先日、広島の講演で例会で「人脈の作り方」を学ぶと言ったら「自分たちの会もぜひそのテーマで勉強したい」という。難しいが、大事なテーマ。

人脈は、健康にも通じる。
日本人は全体的に長生きだが、日本人の長生きを研究した研究者が、長生きの秘訣を人脈作りにあると発表した。

女性は人脈作りがうまい。最近は「墓友」というのまであるらしい。
とにかく外に出ないと人脈はできない。ダンス、マージャン、カラオケなどの趣味でもいい。

人脈作りには3つのコツが必要だと思う。

第一に自己資金。自分の体と少しのお金は必要。ここに来るにも体を運ぶ体力と、投資(交通費)が必要。
以前、八起会で入会した動悸を調べたが、「入会して再起」に続いて「友人が欲しい」が2位だった。

第二に手紙力。大阪の弁護士で仕事に大忙しな人がいるが、この人の武器は手紙力。手紙やはがきを怠らない。

第三に演技力。演技をしないと人脈は作れない。演技とはどうしたら相手が喜ぶか考えて動くこと。

人脈に反するようだが、人によっては「孤独に生きる」人もいる。
思いやり、やさしさ、強さがあり、尊敬されているのに、近寄りがたい人がいる。

これは単なる孤独ではない。栄光ある孤独。優れた経営者に多い。
友人はいなくても、上下に人がいる。教えるか、教えてもらうかの人脈。

さて、人脈を作るなら、多少のお金を使い、ボランティアをやろう。人脈があれば、心の病にならない。


八起会 5月例会 (2015/05/18




今回は、「人生を考え、相続を考える」〜 相続が争続にならないように 〜 と題して、八起会の顧問を長年勤められておられます、公認会計士のK先生による特別講演会を行いました。

K先生は、岩手県出身の62歳。中学卒業後、ガラス加工の会社で働きながら、定時制の高校に通い、さらに夜学で大学に進学。苦学の末、公認会計士になられました。
以下、概要をお伝えします。

相続税は、2年ほど前からブームがぶり返している。
その前に騒がれたのは、昭和の終わり、バブル時代のこと。銀行・不動産などによる相続税ビジネスが盛んに。

税法が改正され、基礎控除が減って自分の問題になる方が増えている。平均的な家族、奥さんに子供二人の場合、以前は5000+3000=8000万円までが基礎控除されたが、今は3000+1800=4800万円までに減った。
もめるケースも増えているが、社会全体が貧しくなりつつあるせいだと思う。

相続人は誰になるかといえば、基本的には配偶者と血族。
離婚した場合、配偶者は相続の権利がなくなるが、子供は離婚後も相続権が残る。再婚すると子供は両方の親の相続権がある。
養子は実子と同じ権利を有する。内縁の子供は認知されていないと相続権はない。
子供がいない場合は親に、親もいない場合は兄弟に相続権がある。

遺言さえあれば愛人に渡すことも可能となるが、「法定相続割合」の半分までは請求権がある。
例えば「100%愛人に渡す」旨の正式な遺言があっても、「法定相続割合」妻1/2の半分、子供の合計1/2の半分は請求することで受け取ることができるので、請求された場合、愛人は50%のみとなる。
ただし、相続権のある全員が合意さえすれば、どのようなわけ方もできる。

子供がいない場合は、相互に遺言状を書くことで、100%配偶者に相続させることも可能になる。
そうしないと、法的に1/4は兄弟に持ってゆかれることになる。
配偶者に100%相続させる場合は、1億6000万円まで無税となる。(3億2000万円超の場合は、その半額まで無税)

遺言状は、公証役場にお願いする場合と、自筆の場合があるが、自筆の場合、パソコンで書いたものは認められない。全て自筆する必要がある。

相続にはマイナスの場合、すなわち借金が存在する場合がある。
会社を経営している場合には、借金の個人保証を背負う可能性がある。借家の保証人や借金の連帯保証なども、相続の対象になるので注意が必要。

この場合、財産放棄で回避することができるが、問題は借金が後から分かる場合。
財産がプラスの場合のみ相続する「限定承認」にし、1年以内なら対応可能になる。

生前譲与という方法もあり、年間合計110万円を渡すことができるが、子供の名義の預金にしているだけでは駄目。
子供が実際にその預金通帳を持ち、口座を管理する場合のみ、認められる。
不動産の場合、基本的に共有する形での相続は争いの元。止めたほうが良い。相続金額は、土地の場合は路線価で決まる。

税金ばかり気にして、分割しすぎた結果、残された奥さんの生活がままならない状況になることがある。
奥さんの生活を第一に考えた相続でなければならない。


【野口会長の言葉】

相続の争いが一番多いのは、300万円の場合だと言う。たった300万円で兄弟が仲悪くなるなど馬鹿馬鹿しい限り。

八起会は、相続も負の相談ばかり。
64歳で倒産したが、破産はしていない。1500万円の借金を信用保証協会にしており、毎月5000円払っている。当然返せる金額ではないので、子供に残るのが心配という。

こう回答した「子供が3ヶ月以内に財産放棄すれば問題ない」。
それよりも目の前にもう1つの問題がある。給料20万円と年金20万円を貰っている今は良い。しかし、生きている間にも返せなくなるときが来る。病気になったり、老齢で雇ってもらえなくなるときが来る。
その場合は、破産するか、そのまま放置するしかない。保証協会は無理には取り立てない。

会員の相続の実例を2つ。

Aさんの場合、倒産後に始めた新商売があたり、家も建てられた。子供もそれぞれ会社を持ち、家族皆、順調であった。
そこに、両親の遺産話が持ち上がった。面倒見た妹に全額渡したいと両親は言い残したが、本人はどうしても法律分を貰いたいと言う。

私は「よしなさい。すでにお金は十分にあるでしょう。お金はほどほどで良いではないか。」と言ったが、聞かずに弁護士を立てて、遺産を受け取った。
「バチが当たらなければ良いが」と心配したが、案の定62歳で肺がんになり亡くなった。お金は取れたが、命がとられた。

私の年代では、「バチが当たる」と言われて育ったから、それを信じている。
最近、仏像を壊した人間がいて住職が「報いが来る」と言ったが、そうなるだろう。

Bさんは、倒産後、営業の仕事で頑張っていた。千葉に家を建てるというので、頑張った成果と思っていたが、実は親の遺産であった。
3ヵ月後「自分は長男だから、もっと貰えるはず」と言うので止めたが、こちらも弁護士を立てて争った。
その3年後、Bさんは再び借金まみれになり、2度目の自己破産。千葉の家もなくなった。

やはり、欲をかき人と争うとバチが当たるのだと思う。

K先生の話は大変分かりやすいが、それでも税金や法律の話は、わかりやすいようでわからない。
最後は、個々に相談すべきこと思う。

K先生は、苦労苦学したから、人の痛みが分かる。
八起会はたくさんの税理士さんをお迎えしたが、皆ボランティア精神がなく、最後は私と意見が合わずに辞めていった。

K先生だけが残った。ボランティアで相談に乗っていただく上に、毎年ご寄付もいただいている。
本当に感謝、ありがとうございます。


八起会 4月例会 (2015/04/18



八起会の最長老、毎回金沢から参加されているKさんの講演会を行いました。


八起会は、欠かさないように参加してきたが、心臓の病気でドクターストップが掛かり、冬に来れないことが多くあった。
しかし、ペースメーカーを入れてからは調子がよく、冬もOKとお墨付きをいただいた。

なぜ、心臓が悪くなったか。自動車に頼りすぎて歩いていなかった、これが原因と考えた。
ドクターに「一日、一万歩を目標に歩きたいがいかがなものか」と聞いた。「大変結構なこと」といわれた。
それ以来、万歩計を持って歩いているが、東京に来るときはいつも以上に歩ける。今日はすでに1万6千歩。

私は金沢の人間ですが、金沢の人は冷たい。
元々江戸時代に、徳川と加賀で軋轢があったためで、加賀には徳川から嫁に入った娘は、藩を潰す目的であったと言われている。

京都でも「あがって食べてゆけ」と言われたら、本気にしてはいけない。「もう帰ってくれ」という意味。金沢と京都に共通すること。

そんなことで、金沢だけにいたらいけないと思っている。
月に一回は八起会に参加することで、他の地方の人とのふれあいをしている。

八起会五則は、すばらしい。中でも、「いい出会い」がとても重要。

「鐘の鳴る丘少年の家」設立者の品川博さんに会ったときは、無償で本を500冊印刷し、寄付した。
「金沢の人はうそをつかない」と喜んでもらえた。

野口会長を知ったのは、NHKラジオ、人生読本。三日連続で放送された。
「事業経営の失敗者です」から始まり、「八起会を育て、八起会に育てられ」で終わった。すごい人がいる。会ってみたいと思った。

その当時、銀行から金を借りすぎていた。言われるままに借りて、機械や人を増やしすぎた。
野口会長と出会ったことで、倒産は早いほうがいいと決断できた。

倒産したときの弁護士さんが中小企業同友会の地方の会長さんで、「倒産し自己破産したら、会社役員にはなれない」「ただし、自営業として続けるなら問題ない」と教えてくれた。
結果、今は個人として印刷業を続けられている。


【野口会長の言葉】

日本は今、老人の国になっている。ただし、老人天国と老人地獄の2つあるように思う。
国民年金だけでは家賃も払えない。政治家に老人天国にしてほしい。

老人向けのビジネスが花盛り。
サプリメント、介護、食事サービス、保険が使えるマッサージ(整骨院)。

どんなに需要があっても、大手から中小まで業界同士の戦いがある。

ここ二ヶ月で整骨院から、同じような相談を相次いで3件も受けた。
一人で開業し、一年から一年半。500万円の資金を国金から借りているが、患者が少ないので、手持ち資金がなくなった。年齢は40前後、一日の患者は八名程度という。

皆さんなら、どう回答しますか?

(Mさん)国金は回収が厳しい。その仕事が生きがいなら別だが、自分なら見切りをつけてやめる。
(Yさん)世の中の流れで患者も増えているが、ライバルも増えている。よそと違うことをし、差別化する。
(Tさん)マッサージで順調なところもある。口コミが重要。顧客のターゲットを調べ、専門的な部分に特化すべき。

こういうものは、開店前から相談を受けられれば良いが、切羽詰ってからはなかなか良い方法がない。

私なら、一人で独立せず、仲間を集めて、2・3人で開業する。一人ではすぐに手一杯になり、客を待たせる。私も待ちたくはない。
一人でやっていれば、玄関に客が来たとき、治療をストップして迎えねばならない。
それとお客が年寄りなら話し相手になる。聞いてあげる先生になれば、患者は喜ぶ。
新規開業するなら、最初は土日もやること。そこまでやって半年駄目ならやめたほうがいい。

八起会への相談で多いのが、「お金を貸してくれませんか」「お金を貸すところを紹介してくれませんか」
八起会はお金もないし、万が一あってもお金を貸すような指導はしないと心に決めている。

今日のKさんのお話、参考になりました。
1万歩はなかなか歩けない。また、夫婦二人して80歳を超えているが元気。
良い言葉があれば、どこでもメモするKさんに感心している。商売にも人生にも参考になる。

体は年をとっても、心は年をとらない、Kさんは心で生きている。八起会五則で満ちている。

【最後に配られた野口会長の書】




八起会 3月例会 (2015/03/15



K会員を司会とし「失敗と大失敗の違い」(失敗は最高の教育なり、されど大失敗は? 倒産は大失敗か?)をテーマにお互いの失敗談を語り合いました。

(Kさん)まず、自分の失敗談と体験談からお話したいと思います。

山梨に生まれたので、小さい頃から富士山を毎日拝んでいた。
昭和32年に富士山に登ったが、頂上の手前で女子社員が動けなくなり、背負って頂上まで行った。
富士山の世界遺産登録のときに、この思い出を投稿したら、NHKの深夜便で放送された。

第二の人生は、30歳のときのアクセサリーのメーカーとして独立したこと。
順調に商売は伸びた。翌年は東京オリンピックで景気がよく、全国展開できた。

昭和55年。ソ連がアフガニスタン侵攻。金や銀が大暴騰した。
その結果、取引先が次々と倒産し、その影響でついに自社も倒産せざるを得なくなった。

倒産後、第三の人生のスタート。翌年56年、債権委員会が解散となると同時に、八起会に入会した。
再スタートを切るに際し、神田にある簿記学校に通い、会計の勉強をした。

倒産する2年前、中小企業倒産防止事業団に2000万円借りていた。
この返済の一部を返すのに、受け取っていた手形1200万円分を渡したが、手形の発行先が半分払って倒産してしまった。
このときの借金は今でも少しずつ払っている。この借金に利息がつかないことで助かっている。

明治29年以来、民法が改正される。企業融資の個人補償は原則禁止になり、未払い金の時効も5年になると新聞に書かれていた。
今は年金生活。健康で元気にやってゆきたいと思っている。

それでは次に皆さんに「受験、恋愛、就職、病気、離婚、子育て、社員教育、相続争い、借金、決断、酒、趣味」などの項目を掲げますので、各会員に失敗談を語ってもらいたいと思います。

【以降、各会員が語られた「失敗談」から抜粋します】

● 最初に入れた社員を育てるのに失敗したと思う。
もう何十年も前だが忘れられない。朝1時間近く遅刻してきた。その時に皆の前で大変な剣幕で怒ってしまった。
その後、会社を辞めてしまった。一度は呼び戻し、20年勤めてくれたが関係を修復できなかった。
皆がいる前で酷く怒ってしまった。これが失敗だったと反省している。

● 倒産は当然大失敗だが、失敗と言うより残念なのは息子が亡くなってしまったこと。
もう50回忌になる。今も生きていれば、自分の人生も変わっていたと思う。
83歳になるが、未だに働いている。家は借家なので、やはり不安はある。

● 振り返れば、自分の人生失敗だらけ。
そのとき、そのときに決断したことが失敗することもあったが、前しか見ないようにしてきた。そういう性格。
自分はすぐ忘れる。これは欠点でもあり長所。プラス思考で前向きに生活したほうが楽だと思う。

● 私は3つの失敗がありました。
社長になった後、営業部長が只で仕事を請けてきた。無料で現場に行き設計図を描いたのに、その後貰える約束だった有料の仕事を他の業者に発注されてしまった。
性能試験をする際に、機械装置のボタンを押し忘れてしまった。結果、とても良い結果が出た。それを信じた父が性能のでない装置を大量に作ってしまった。
大家から「次の契約はしないので事務所を出て行って欲しい」と言われたとき、父が800万円という高い保証金の事務所を決めてしまった。これを何とかしようと融通手形を発行し、結果1000万円の不渡りが出てしまった。

● 倒産という大失敗が次の人生につながった。
パソコンを高齢者に教えてくれることになった。300時間無料で失業保険を貰いながらできるという。
1ヶ月通い、パソコンを覚えることができた。

● 日本は多くの赤字国債を抱えている。何かあっても失敗しないように勉強したい。

● 12個のうち、7項目の失敗がある。どの失敗を話せばいいか、迷う。
会社としてみれば、倒産は大失敗。しかし、個人として考えれば「失敗してよかった」と思っている。個人から見れば失敗ではないと思う。

● 肉屋をやっていたが、倒産した。
一緒にやっていた弟に只で店舗を上げた。倒産したとき、その弟たちが100万円用意し、住むところも準備してくれた。
倒産が良い経験になり、小さな収入になったが、その中からコツコツ貯めた。そのお金で一度、居酒屋をやったが、結果的にまた倒産してしまった。
肉屋に戻り、またコツコツやっている。

● 決断の失敗。自己中心で相手のことを考えなかった。
長男も同じようにしているようで心配。失敗は、次の世代につながってしまうこともある。

● 会社の社長を受けたことが失敗。
勤めているとき「子会社の社長をやらないか」と言われた。その条件として「親会社に金を貸して欲しい」と言われた。銀行から個人補償で借りた金を貸してしまった。
結果、親会社がつぶれ、自宅もとられる結果になった。経営を勉強せずに社長になった甘さが失敗。
名誉にあこがれてしまったし、借金が重なる中、妻に止めろと言われたのに、そのまま続けてしまった。

● 倒産は大失敗だと思う。社長復帰を目指したが、結局できなかった。
1/3を占める得意先の担当者からバックマージンを要求された。景気の良かったころは、それで上手く行っていたのだが、うちの番頭に判子を預けてしまった。
この男が競馬好きで、仮払いを悪用し会社の金を持っていかれた。判子を渡したのは大失敗だった。

● アメリカでは倒産した人間を「良し」として見ている。
失敗は勉強になったと思う。倒産した原因を見つめなおす良い機会。
自分は社長の器か、社員を使える能力があるか。自分はそうでないと気づいた。トップでなく2番目が良いと気づいた。今は裏方に徹し、牛乳屋で働いている。

● 自分はメンタルで強くない。どうしてこうなったのかと塞ぎこむ。
細かいことで悩んでいる自分を変えるために、明るく振舞うようにしている。
失敗かどうかは個人の考えで変わる。エジソンが電球を発明したとき、何千回と失敗したが「失敗はしていない。この方法がダメと分かった【成功】なのだ」と言われた。

● 倒産したとき、全てを失った。当初は大失敗したと思った。
生きている価値もない、死んでしまおうかと思った。母親が夢に現れ「お前はこんなことで死ぬのか」と怒られた。
失敗したまま終わるのは無念。その後、必死に働いた。倒産した翌日から働いた逃げなかった。
私の中で「取り返しのできる失敗」だと思えるようになった。人生は前向きの決断力と、人に対する愛情・思いやりと思うようになった。
マイナスになることは全て捨てる。


【野口会長の言葉】

倒産110番で経営者の相談を受けてきた。

相談のうち、2割はまだ続行できると感じた。8割にはゼロから再出発したほうがいいとアドバイスした。

20年経ったら、2割が経営者の人生相談になった。親子、夫婦、兄弟のいざこざ。中には隠し子の相談。

30年経ったら、半分が人生相談になった。しかし、前の人生相談と違う。個人の心の病という相談。
最初は「経営相談の番号」と断り、逃げていた。

ここ2,3年前から考えが変わってきた。85年生きている経験がある。
それを生かして電話がかかってきたら、自分なりに応える様になった。

22歳の女性。会社勤めが3年間。突然会社に行くのが嫌になった。朝起きれない、外に出れない。
どう答えるか、正解はないと思うが、こんな風に話した。

「目標を持って、その目標を達成しなさい。」
「どんな目標ですか?」
「ハローワークに行き、どんな仕事があるか楽しんで探してきなさい。遊び気分でいい。それが目標で良い」

一歩でも外に出て欲しいと思ってそんなことを言ってみた。
電話をかける勇気はある。ただ、電話魔になっているかもしれない。
今は真剣に心の病の人の相談を受けている。

失敗でも大失敗でも、心の病になるのが問題。
倒産なんてどうにでもなる失敗、心の病こそ本当に大変。

長女が短大を卒業したとき、当時のPTA会長に新宿の大病院を勤め先として紹介された。
3ヶ月したら家内に「長女がおかしい。お父さん話を聞いてみて欲しい」と言われた。
娘に1つだけ質問した。「病院に行くのが嫌か」「はい、嫌です」

紹介してくれたPTAの会長に手をついて謝った。「せっかく紹介していただいたのに申し訳ない」
その上で、娘に言った。「明日から病院に行かなくて良いよ。」
元の明るい娘に一度に戻った。これは子育ての成功例だと思う。

大統領になるような大成功もあるが、こんな小さな成功を重ねること、(心を患う)病人を作らないことが大切なのではないか。

ある会員が入院した。「会長、失敗した、失敗した」という。
とても慎重な人だったのに、どこかで慎重さに欠けてしまったのだと思う。
人生、健康1つにしても気をつけないといけない。

本人しかわからない苦しみがある。精神力の強い人、弱い人がいる。
失恋しただけ、就職に失敗しただけでノイローゼになる人、自殺する人もいる。
ちょっとしたことで身体の倒産を招く。

失敗は七転び八起きどころでない。100回転んだら、101回起きる。
失敗しない人は、悲しい人。

私の場合は、失敗したことで成長してきた。
倒産という失敗は宝物。倒産したから八起会が生まれた。八起会で感動の人生を知った。
「失敗に財あり」という本も出したが、失敗は良いものだと思う。

日本はアメリカと言う大国と戦い、大失敗した。
しかし、今の日本は素晴らしい。戦争に負けるという失敗が原因になった。
失敗から人生を掴む、幸せを掴む。

70歳になって「幸せ」と感じられたら、それが成功。
「幸せ」と感じない人は、過去を悔やんでいる人、悩んでいる人。そういう生き方はしたくない。
生きていて良かったといえる人生を過ごしたい。



八起会 2月例会 (2015/02/21


(Nさんの講演資料の一部)


精密機械の測定機を、アメリカやドイツから輸入し販売する会社を経営するNさんに「リーマンショックでまなんだこと」をテーマに講演いただきました。

Nさんは、会社を潰さず立派に経営を続けている経営者。

Nさんは、昭和28年大阪生まれ。50年から航空機など機械の開発に従事。
58年から半導体の製造装置の開発に従事。
平成6年、MBOという形で部門を独立させ、現在経営の会社を設立。

八起会に参加し始めたのは、業績が悪くなったからではないという。
サラリーマンから経営者になり、どのように会社を経営していいか悩んでいた頃、たまたまアメリカ行きの飛行機の中で、野口会長の本を手に取った。
その後、すぐに不安と悩みを相談するため、八起会に電話し会員になった。

現在、事務所は埼玉県に移動した。元々工場であった場所なので、広さは十分。15名の社員では広すぎるくらいだという。
測定装置で検査する部品は、精密なものばかりであり、中には髪の毛ほどの細さのものもある。
このため、事務所にはクリーンルームも装備されてあり、機械を試すために顧客に来社いただき、その性能を確認してもらう。

この装置は医療用で使われるCTスキャナーと同じ原理で、部品の測定を行う。
実際には医療用のものよりも遥かに高度で繊細な測定ができるもの。測定結果は3DのCADで作成したものと同じ結果が得られると言う。

非常に高価な機械であり、3000万円から3億円程度の金額になる。
悩みは、売上の差異が大きいこと。売上がバラバラで注文から納品まで3〜7ヶ月も掛かり、試算表を作っても意味がないという。

経営は順調だったが、最大のピンチは、リーマンショックだった。商談が一気になくなった。
何とかしようと、それまで年に2回の展示会を、10回に増やして営業した。結果、多くの評価以来を受けることができ、忙しくなった。
ところが、評価ばかり来るが、売上につながらない。評価といっても簡単でなく、技術者が3日貼りつく。当然コストもかかる。

やり方を間違えたことに気づいた。それを反省し、プッシュ営業からプル営業に変えることに決めた。
とにかくお客様を厳しくチェックした。「顧客付加が高いか? 予算はあるか? 業界No1か? 測定データが重要か?」
お客様を見極めた。経営の難しさを改めて知らされた。

HPにも力を入れることにした。それまで業者任せだったが、内部の技術者に作らせた。
どのようにしたら、分かりやすいか。どうしたら、検索エンジンで上位にゆけるか。
メルマガも発行した。今や読者は3500人いる。

リーマンショックを何とか乗り越えられたのは、

1)八起会に学び、内部留保をためていたお陰。
2)運の良さ。前々から決まりそうで決まらなかった3億円の商談が、良い時期に実った。

しかし、これからは売上がなくても1年半は生き残れる体制を作りたい。1年半あれば、新しい体制作りはできると確信している。

野口会長からNさんに質問をされました。

Nさんは月に本を何冊読みますか?
「20冊ほど読みます。最近はキンドルという電子ブックも読んでいます。」

どのような本を推薦しますか?
「最近は人口知能関連です。「機械との競争」という本は人間から、コンピュータが職をとりあげてゆくという内容を紹介しています」

続いて、野口会長のお話がありました。

世の中、景気が良い。株が上がる。倒産は減っているといっています。
しかし、廃業などの隠れ倒産は実数の30倍。まだまだ倒産する会社は尽きることがありません。

食品問題で様々な混入事件がありましたが、恵方まきに豚の生肉が入っていたそうです。
その会社、今も倒産せずに生き残っているそうですが、倒産した私たちは、それ以上に悪かったんでしょうか?
結論を言えば、それ以上に悪かったのだと思います。

私の場合は、目的・目標・経営理念。何もありませんでした。その上、公私混同、教育もなし。

要は経営者でなかったと言うこと。社長は誰でもなれますが、経営者になれない。
Nさんは立派な経営者です。

例えば、本。私などは、競輪新聞ばかり。それで勉強し、競輪場に行く。
本は読まない、セミナーは行かない。Nさんとの大きな違いです。

経営者は失敗者から学ぶ人。成功に学ぶのは当たり前のことです。
松下幸之助さんは、年末になると売れない店を歩いた。「なぜ、この店は売れないのか」研究して、次の年のテーマにした。

Nさんは、リーマンショックと言う苦しみに学び、それをバネにした。
悪いときばかりでなく、良いときも人材育成や新商品開発など、商売繁盛に苦しむ。

一言、苦しみといっても、こういうのは「明るい苦しみ」。
私は良い時には何の苦しみもしていない。苦しんだのは、借金を返せなくなってから。同じ苦しみでもこれは「暗い」のです。

Nさんは経営も順調ですが、長男と言う後継者もきちんと育てている。
今日も家族の皆さんが一緒に来ている。家族の仲が良い。これは一番の幸せ。



八起会 1月例会 (2015/01/17



「七転び八起き九拝」というテーマで行い、野口会長は次のように語られました。

皆さん、八起五則を実践されていますでしょうか?
簡単なことですが、実践するのは難しいものです。

まず、笑顔。赤ん坊の笑顔は周り皆を喜ばせますが、なぜか大人になると周りを喜ばせることが、なかなかできません。
朝起きたとき、練習しないと良い笑顔はできません。
自分も毎日「いい顔、いい顔」と言いながら、鏡の前で笑顔の練習をします。朝、一時でもいいから笑顔に。これが大切。
八起会に集まるときは、皆本当に良い笑顔です。

さて、今年はどんな年になるでしょうか。
大地震が来ると専門家が言っています。せっかくなら、いつどこであるのか言ってほしい。

20年前まで、神戸は地震が無いと思っていました。だが、甘かった。
普段からの備えが必要になります。
これは、地震だけではなく、普通に歩いているときも、ケガや事故、強盗にあうかもしれない。

それから、景気はどうなりますか?と聞かれることがあります。
私には答えられない。評論家でもないのでわからない。
それでも、大手は景気が良いようです。しかし、中小はまだまだ良くなっていません。

世の中の景気の問題はともかく、自ら不況を招いている場合があります。
最近では食品業界、特にマクドナルド。零細ならとっくに潰れています。
いつの世も、油断大敵。マックを反面教師にしましょう。

ところで、正月といえば、何千万人も神社に行き、お参りしています。
そこで入れるお賽銭の平均は、なんと16円だそうです。
たったの16円で商売繁盛や家内安全、健康祈願などの願いを叶えてくれるものでしょうか。

私は、神様は素直な人から、その願いを叶えてゆくのだと思います。
だから、私は毎日反省。素直になろうと思っています。お願いを聞いて欲しいからです(笑)。

今年は未年ですが、元々羊は日本にいなかったそうです。
貢物にするために、日本に持ってきたそうです。
「みつぎ」が、「ひつじ」になったとの話もあります。

捨てるところが無いので「羊の十徳」と言われています。

「羊の十徳」
1)ラム・マトンとして、西洋では豚や牛より高級な食材。
2)革はなめして、衣服・テント・スリッパ・手袋。
3)骨はナイフ、歯ブラシの柄
4)脂肪は石鹸
5)糞尿は肥料
6)脳は歯痛の特効薬
7)角は飾り
8)乳は発酵乳で美味しい
9)毛は織物として、服地やホームスバン
10)腸やひだは、バイオリン・ギター・ラケットなどの糸

このように、羊は利用価値が高く、人間にずいぶん貢献しています。
我々も羊にあやかり、お客様の役に立つ、有用な人間になりたいものです。

羊はほとんど鳴かない。鳴くのはヤギ。
殺されるときでも鳴かない。それほど忍耐強いのです。
このような羊を見習い、粘り強く忍耐強い人間を目指しましょう。

今回のテーマの「九拝」で、両親を思い出して欲しいのです。

8分間目をつぶり、両親と自分の関係を思い出し、2分程度で書き出します。
小学校まで、大学まで、就職以降の3段階に分けて思い出し、最後に結論を書いて欲しい。

結論とは、親をどう思うか。尊敬しているか、憎んでいるのか。
普段は真剣に親を思うことはないと思います。深く思い出してみましょう。

(この後、会長の言われたとおりにワークを行い、それぞれ親に対する思いを発表しました)
(ワーク後、次のようなお話がありました。)

ある本にこんなことが書かれていました。
「本当の親孝行には2つある。1つが親より長生きすること。もう1つが先祖供養すること。」

これを読んでほっとしました。
親よりは長く生きていますし、幸い倒産後は、一生懸命先祖供養させていただいています。

ああ、亡くなっても親孝行できていたんだなあと感じました。
これから死ぬまで先祖供養し、親孝行して行きたいと思っています。

ところで今回のワークはやってみて、いかがでしたでしょうか。
今年一杯何をやっていいのか、どうしていいのかわからないのです。

会費をいただいている以上、毎回例会はしていますが、結果がわからない。
来年は、こんなことをして欲しいなど、お手紙、FAXなどで反響がぜひ欲しいのです。

そうでないと、やってよかったのかわからないのです。
ぜひ、協力してください。お願いします。


(九拝とは・・・
1 天皇に拝賀のときや高僧を恭敬するとき、立ったり座ったりひざまずいたりして9回拝礼すること。
2 何度もおじぎをして深い敬意を表すこと。
親に九拝するという意味で、今回のテーマになったと思われます。 ※HP担当者補足)

※ 野口会長の言葉は、会員専用HPにアップしています。


八起会 忘年会 (2014/12/20



12月は毎年恒例の忘年会を行いました。
年に一回の締めくくり。普段なかなか参加できない会員も集い、約30名にて3時間歓談に加え、ビンゴゲームや寸劇?で交流を深めました。

忘年会に先立ち、野口会長は以下のように語られました。

総選挙も終わりました。誰が政権をとっても良いが、経済を良くして、失業者を減らすような本物の政治をして欲しい。

もちろん、政治家任せでは駄目。
経営者は会社を潰さない、一般の方なら人間倒産しないよう、毎日努力すべき。

毎年、10大ニュースを発表しているが、今回は自分に関する2つのことを取り上げたい。

1つは、今年85歳になるが、初めて席を譲られた。戸惑ったが、譲ってくれた方の思いに応えて、感謝して座った。

しかし、自分の中では何かうれしくない、がっかりした。
まだまだ元気で、席を譲られるような老人になりたくない。そのためにも若々しく健康になるよう頑張りたい。

もう1つは体重が80キロを切ったこと。
いくつになったかと言えば、79.9キロ(笑)。笑い事のようだが、自分にとっては55年ぶりの大変なニュース。目指すのは「七転び八起き」の78キロ。

こんな、どうでもよいような小さなことでも目標を持ち、好奇心を持つことが大切。

今年も忘年会の時期が来ましたが、毎年、寄付やお酒・物品などを提供してくれる人がいる。また、いろいろと準備してくれた世話人さんがいてくれる。本当にありがたい。

皆さんの笑顔もおかずの1つ。皆で楽しく歓談し、来年をもっと良いとしにしましょう。

ところで、36年前に八起会はここ(浅草)で旗揚げしたが、これには理由がある。

今から36年前、浅草は死んだ街だった。キャバレーや場外馬券場ができてから、若い人はほとんど来なくなった。タクシーさえほとんどいなかった。

街の有志が集まり、何とか浅草に元の賑わいを取り戻したいと、一生懸命に復活させた。
倒産者も浅草と同じように復活させたいという思いをこめて、ここでの旗揚げを決めた。

浅草を見習い、浅草に負けないように、復活・再起を目指したい。

※ 野口会長の言葉は、会員専用HPにアップしています。


八起会 11月例会 (2014/11/15


(野口会長の資料として配布された「同族経営心得10か条」)

海産珍味の卸売を営む、Iさんによる「私の履歴書」講演会を行いました。

Iさんは、S17年 大阪に生まれ、現在72歳。

東京の足立に生まれ、工業高校を卒業後、日産自動車に入社。
しかし、大卒との給料の違いに愕然とし、3ヶ月で辞職。夜間大学で物理を学ぶ。

大学卒業後は、兄がやっていた海産物会社に入社。
昭和42年に海産珍味の卸売で独立、51年には会社組織化する。

「1万円で仕入れた商品だが、7000円でよいから買ってくれないか」とある仕入先から持ちかけられたことがあった。
いわゆるバッタ品。仕入れた商品は2倍の額で売れ、大いに儲けた。

「利益が出ればいい」。仕入先の苦しい事情は考えなかった。
同じように何度か商品を持ってくるが、資金繰りが苦しいと言う。お金を貸した。

あるときから連絡が途絶えてしまった。お金も返してもらえなくなった。
妻には「あの人と商売すべきではない」と忠告されていた。妻の意見を聞くべきだった。

八起会との縁は、新宿で講演会を聞いてから。会長のテープを購入し何度も聞いた。
友人を通じ、梅崎さんを紹介してもらい、息子と共に入会した。

息子には「今の商売はやめたほうがいい」と言われる。コンビニが増えるため、得意先である小売店は減っている。
今は息子が継いでいるが、別の商売も平行して行っている。

バブルの時に店舗と家を買い、仕事を始めた得意先がいた。
一年で一日しか休まずに、364日働き大いに儲けて、たくさんの商品を買ってくれた。
しかし、その後急速に売上を落とし、平成9年に倒産。お得意さんがなくなるのは残念なことと感じた。

海産珍味の組合は、最盛期48社あった。今では数社しか残っていない。

バブルも終わる頃、48歳のときに母親の土地に事務所兼用でマンションを建てることにした。
しかし、日照権を巡って近隣とトラブルになり、裁判に発展した。
幸い3ヶ月ほどで勝訴できたが、和解のために保証金を出したり、子供がいじめられ転校するなど大変であった。

建設資金は銀行で借りたが、当時の金利は8.3%。
湾岸戦争が始まったことで銀行からは「土地の半分を売却し処分したほうがいい」と言われたが、承知できなかった。

資金不足で、自分たちの住む家はかなり狭いものになってしまった。妻に「いつになったら広いところに移れるのか」と今でも言われる。

資金は何度か銀行を変えることで、1%台の金利で借りられるようになり、一息ついている。
それでも、クロスの張替えから屋上工事まで自分たちで全て行うことで、何とか経営している。
家賃は新築当初に比べ、30%落ちている。近隣の相場から見れば仕方ない。

残念ながら、本業の珍味はジリ貧。利益を出そうとすれば売れない。ただ、現金商売なので手形がないのは幸い。


【野口会長の言葉】

経営の目的は継続すること。継続さえできれば運が向くことがあり、そのときに成長もできる。
問題はそのためにどうしたらいいのか。答えは2つ。

1つは「トップを高める」こと。もう1つは「当たり前」をきちんとやること。当たり前とは、誰でもわかっていること。
理念、教育、計画、良い人脈、自己改革、公私混同しないこと。

Iさんは倒産していない、継続している。息子にバトンタッチできている。これは素晴らしいこと。

苦労は誰でもしている。しかし、自分(会長)の場合は、楽天的で苦労していない。だから駄目(笑)。

ある人が言った。「苦労しているときが、経営しているとき」。

Iさんと同じく、後継者の問題は多い。

「息子は駄目だから、自分が社長に戻った」とか、
「子供がいないから甥に譲りたい。しかし、妻は会社を売りたい。そのことで離婚の危機」など。

4年前に来た人は、「会社は黒字で問題ないが親父が弟の方ばかり持つ」というので、「一年間、あなたが黙りなさい」とアドバイスした。
一年間沈黙していたら、父親のほうから「社長になれ」と言われた。しかし、今度は弟との仲が悪くなった。
「弟は自分で何とかやっているなら、その分野に関しては任せなさい」とアドバイスした。

(各会員に後継者に譲ったとき、先代から譲られたときのことを聞く)

Uさん「経営者にとって一番大事なことはお客さんを裏切らないことと、引き受けた仕事は必ず守れ」

Kさん「特に何も言わなかったが、自分のやっていた卸売りから小売にした。実績がでないのが心配」

Nさん「スタッフを大事にして欲しい」

Oさん「父から譲られたが、若い自分の気持ちも汲み取って欲しかった」

Nさん「反発はしなかったが、引き継ぐことをもう少し考えて欲しかった」

Kさん「会社を閉じ、子供に渡さなかった。性格的に建築業が向かいないと判断した」

(再び、会長)

Iさんの息子は責任を持ってやってくれている。
Iさんは寂しいというが、聞き流すというのは息子の成長の証。息子さんはシビアに経営している。

息子が後を継がないほうが良い場合もある。
相談にもケースバイケースで答えている。何でもかんでも社長にすることはない。

※ 野口会長の言葉は、会員専用HPにアップしています。



八起会 10月例会 (2014/10/17



(野口会長の資料として配布された「存亡の分岐点」)

看板業を営む、Oさんによる「私の履歴書」講演会を行いました。

Oさんは、S26年 大阪に生まれ、現在63歳。

父親は製紙会社に勤めており、転勤が多かった。
小学校のころは、ほぼ毎年で、兵庫、岐阜、東北に引越。高知に転勤した後、ようやく落ち着いた。

高校一年のとき、足にボールがあたり、あまりに痛いので医者に行った。
地元の病院では原因が分からず岡山大学に。骨腫瘍とわかる。
「あと、2,3ヶ月発見が遅れたら、足は切断」と医者に言われた。自分は運がいいと思った。

岡山大学入院中に、岡山大学院生二人と仲良くなる。両手両足の指が無い。山登りで凍傷に掛かったとのことだった。
2年後、たまたま新聞を読んでいると、この二人が登山で死んだというニュースがあった。将来有望だったはずなのに親不孝な二人だと思った。

2年浪人して近畿大学に入る。卒業後は、石油会社に入社。27歳で東京勤務。
2年後に結婚し、二人の子供を持ったが、このころから将来は独立したいと夢を持つようになる。

知り合いの社長から「メディア事業部を作りたいので、君やってくれないか」と声を掛けられる。
メディア事業部という名目であったが、実際には看板屋であった。一度は断ったが、再三誘われ、事業部長として新たなスタートを切る。

一年半やってみたが、赤字続きで社長がやめるという。
「それならば、独立してやってみたい」と思った。

看板協会の支部長に相談したところ、「やってみろ、仕事を回して応援する」と言われた。実際に独立後は仕事を世話してくれた。

独立は平成11年。社員は雇わず、一人だけで営業。
看板作成・設置は外注任せでビジネスし、リーマンショック前は2億まで売上を伸ばした。リーマンショックが下降の原因になった。

H24年に心筋梗塞を患い、入院。
仕事にも行き詰っている中で、奥様から、野口会長の本を渡され、これがきっかけで入会。

H25年、野口会長に強く勧められたこともあり、会社を倒産させ、自己破産。会長の薦めてくれた弁護士さんのお陰で無事免責となった。

倒産の直接のきっかけは、ある大手企業A社の大型商談 2500万円の看板設置。
無事納品したにも限らず、お金が入ってこない。A社との間にB社がおり、その下にさらにC社がいたが、B社が約束の代金を払ってくれない。
B社とC社で裁判になったが、結局、Oさんの直接の親請けC社が負ける。C社自体も経営が悪化しており、必要な契約ができていなかった。
(結局、C社も会社を清算することになる)

倒産の原因はもっと根深くあったと思う。営業マンとしては能力があったが、経営者としての能力が無かった。
「人がよい」のもアダになったと思う。真面目だけではダメ、もっと緻密に経営すべきだった。

具体的に言えば、借金が一番問題だった。銀行から「無借金経営などできないですよ」と言われた。これを鵜呑みにした。
500万がスグに出た。2億まで売上が伸びて、借りやすくなったこともあり、一億近くまで雪だるま式に膨らんでしまった。
今考えると恥を忍んでも、借金は身内に頼むべきだったと思う。

お客から貰うことより、外注に支払うことを優先した人の良さもあった。上も下も同列に思いたかった。
自分としては、これを原因の1つとは思いたくないが・・・

一流の経営者になるには「倒産、大病、投獄」が必要だと言う。自分は2つ経験できたと前向きに捉えている。

今年7月、新しい会社を作り、娘が代表となり、自分は営業マンとして、再起のスタートを切っている。
迷惑を掛けた取引先が、皆応援してくれた。まだまだ実績は少ない。家内がクリーニング店で働き、家計を支えてくれている。

倒産前に迷っていたとき、会長の「事業の失敗は、人生の失敗ではない」という言葉に救われた。
今は、一日一生の思いで、毎日努力している。


【野口会長の言葉】

「倒産、大病、投獄」の3つは、規則正しい生活になるためには必要と言うこと。
入院しても、投獄されても、強制的に規則正しい生活をせざるを得ない。ただ、その後が問題。元の生活に戻ったら意味がない。

事故が多発している。一年前の伊豆大島、広島、御嶽山。
多くの人が死んでいる。家族の気持ちを考えるといたたまれない。山の怖さを教訓にしなければいけない。
社長は定年したらゴルフに行くが、ゴルフ場では年間7000人が死んでいるそうだ。ケガの無い生き方をすべきではないか。

ノーベル賞は明るいニュース。日本人はすばらしい。
受賞した人は、意外に小さいころ勉強が嫌いで苦手な人が多かったとのこと。
大人になって頑張れば良いと言う事であり、勉強がダメだった人には嬉しい話。

Oさんは、勇気を持って倒産の話してくれた。倒産後、すぐに再起できた。幸せな人だと思う。
Kさん、Yさん、Nさんと同じようにすぐ再起できた人は、人徳のある人。人徳があれば、いい出会いがある。いい人に囲まれて再出発できる。

自分は徳がないので、倒産したとき、皆逃げていった。
自分ひとりで商売しなくてはいけなかった。結果、いろいろな商売で失敗した。勤め人も50をすぎて3年やった。

すべて八起会をやりながらだったが、いろいろな商売を経験したことで、いろいろな人の相談に乗れるようにもなった。ムダはなかった。倒産してよかった。

Oさんは人がよく、騙されやすい。これは直らない。
部下を持ったらよいと思う。Oさんは年上の人と付き合うより、年下の人間を使うのがうまいはず。
これからが勝負。無理をしてでも、一人雇ったらよい。



八起会 9月例会 (2014/9/20


不動産業を営む、Mさんによる「私の履歴書」講演会を行いました。

Mさんの父親は20歳前に結婚、タクシー、ダンプの運転手や、土木作業などに励みながら不動産会社を立ち上げた。

Mさんは二代目。父親から経営を引き継いだ。
バブルのころに最絶頂期を迎え、一時期は売上1000億、支社40拠点、社員は500人まで拡大した。

しかし、平成に入りバブル崩壊で急落。借金は2000億にまで膨らんだと言う。

経営が傾いた後は「銀行と二人三脚で経営した」。銀行はとても協力的であった。
会社には、銀行から5〜6人の専門家が来てくれた。銀行の社員であるために、給料も銀行持ちで働いてくれた。

当時、毎月の金利が5億あった。銀行からは「利息はいらないから、不動産を整理してくれ」「担保物件の不動産は5割でも7割でも良い」と言われた。これらのアドバイスで徐々に借金を整理できた。

多額の借金があるのに、会社が倒産しなかったのは、次のような原因があったと思う。

1)銀行の好意的な支援。
2)手形を使わず、現金商売だった。
3)支援してくれる人がいた。

かなり大きな会社であったために、毎日記者に追いかけられたり、地上げ屋との関係から街宣車が会社の前に着たりした。
また、債権回収機構には、300億ほどの借金があり、個人的な貸金庫まで調べられたこともあった。

平成10年、かなりの額の借金が清算できたこともあり、銀行からの出向社員はいなくなった。
自由な経営ができるようになった半面で、今後どのように経営すべきか悩むようにもなった。

そのころ、八起会の20周年記念があることを新聞で知り、参加することにした。
20周年記念に10分ほど遅れたら、会場が一杯で入れず、外のモニターで皆さんの発表を聞いた。

八起会で経営が学べるのではないかと思い、入会させていただくことになった。

八起会に入ってから16年になる。毎月の例会での皆さんの発表は、自分の経営にとても参考になった。
会長の本やテープでも学んだ。NHKのラジオ放送のテープは数え切れないほど聞いている。

八起会五則の中では、特に早起きを実践している。
3時に起きて、6時過ぎには会社に出社、午前中には仕事を終えている。
脳梗塞になったこともあるが、夜お酒を飲まなくなった。飲めば、早起きできなくなる。

現在、会社は10人まで縮小した半面で、多くの社員が独立してくれた。


野口会長の言葉。

デング熱、スズメバチ、毒グモなどの悪いニュースが多い中、錦織の快挙とiPSの移植成功はすばらしいニュースだった。日本全体に勇気と感動を与えてくれた。

医療が進み、平均年齢で100歳まで生きることができるようになるかもしれない。
しかし、油断してはいけない。暴飲・暴食・睡眠不足は体の倒産を招く。

会社も同じ。アベノミクスでよくても油断大敵。自信過剰と公私混同という自分の甘さはきちんと抑えること。

Mさんは不動産屋さん。私が不動産を買ったのは、会社を興して4年間に4軒の家を買ったこと。
「妻と子供3人に家を残してやれる」「男とは太く短く」「後は使ってしまえばいい」とその後は縁が無かった。

70歳を過ぎて入院し「俺が死んだら妻はどうなる」と考えた。
家賃を払わなくてもいいようにするため、40年ぶりに家を買おうと思った。

買うときには、Mさんに相談した。「あの不動産屋、あの建築業者のマンションですから、大丈夫です」と太鼓判を押してくれた。

Mさんは、八起会に夜逃げしてくる人の住まいも見つけてくれた。本当に良い人である。

大変な借金を背負って、それでも潰さずに経営し続けた。普通の人には出来ない。並大抵ではない。
普段の努力ができる人である。

今は小さな会社になったが、必ず生き残ってくれると思う。油断せずに頑張ってください。


八起会 8月例会 (2014/8/23


建築・リフォームの工務店を営む、Nさんによる「私の履歴書」講演会を行いました。

Nさんは昭和44年 東京生まれ、45歳。
調布に生まれ、小学校一年のとき、町田の「山の中」に家を建て移り住んだ。
父親は大工で、元々は作業場であった場所にこの家を建てた。

中学ではサッカー部に所属したが怪我をして、ブラスバンド部に変更。
ここで生涯の趣味とする「サキソフォーン」と出会う。当時この楽器の名前を知る人はいなかったが、チェッカーズで使われたことで、一気に有名になった。
高校もブラスバンドに所属。そのまま音楽の道に行きたかったが、父親と同じ建築の道を目指し、建築系の専門学校に行く。

学校卒業、父親と一緒に働くつもりだったが、「よその飯を食って来い」と言われ、新宿の工務店に就職する。
現場監督の仕事であったが、新人のうちは職人と同じ仕事を経験した。3年目に現場主任となるが、ほとんど休みがなく一年で360日働いていた。

4年目に父親に「そろそろ戻ってくれないか」と言われ、実家の工務店に入る。

会社員時代ほど忙しくなくなったため、この時期を利用して建築士の資格を取ることを決意する。
一年で絶対に資格を取ると決めた。勉強漬けの毎日は大変辛かったが、乗り越えて決めたとおりに一級建築士の資格を取得した。

専門学校で建築CADを使っていたことから、パソコンCADにも挑戦した。
Windowsが出る前の時代であり、パソコンもCADも高額で、安いものを見つけたがそれでも100万円掛かった。
CADに使うだけでは勿体無いと、パソコンで会計ソフトも導入した。自らも会計が少しずつ分かるようになってゆく。

会計をやるようになり、何か変だと思った。
(会社化したが)個人の頃に貰えていた前受金が、徐々に受け取ることができなくなっていった。その半面で職人にはスグ払っていた。
入金が遅く、支払いが早い。結果、足りない分は借り入れに頼るようになっていった。
借り入れは、銀行のいうがままに、何本かを長期返済に変えた。自分は現場ばかりに気をとられて頭が廻らなかった。

個人から有限会社に変える際、元々予備校講師を勤めていた弟が未経験のまま入社。人数が増え、コストアップの原因となった。
このままでは数字的に危ないと思い、営業も始めた。

会社設立から10年後には自分が代表になる。
なかなか小さい仕事しかなく、大きな仕事を取るために新築に力を入れた。
チラシで失敗したが、フリーペーパーへの広告では効果があり、少しずつだが問い合わせを受けるようになる。

しかし、このころにローコスト住宅が流行りだす。
アイダ設計やタマホームとぶつかり、結果的に見積を安く出さざるをえなくなり、結局、利益を削ることになる。
利益を上げるために、新築を取りに行ったはずであったのに。

この新築事業で実家工務店を潰すことになる。
以前から知り合いだったある女性建築士に頼まれた新築の施工だったが、出来上がった物件を見て、施主であったおばあさんが「自分がお願いしたものと違う」「だから、お金は払わない」と突然、言い出した。
施工主だけでなく、建築士とも揉めて、結局3800万円の代金は未回収となった。

この事件を知ったメイン信金が「とにかく600万円だけ返してください」といってきた。
手元にはちょうど600万円しかなかったが、長い付き合いで信金なので次も考えてくれるだろうと返した。
しかし、すぐに「残金はいつ返してくれますか」と言って来て、貸してくれる状況でなくなった。

信用保証協会の代理弁済が決まった瞬間には、パニック状態に。
意識しないうちに車を飛ばし、知らない場所に来ていた。飛び出してきた女の子を轢きそうになって、われに返った。
そのとき思った。「借金が返せないくらいで、死ぬのはおかしい」。

家族会議を開いた。「これ以上は持たない。どうにもならない。」、倒産と父親と自分の自己破産を決めた。
父親に申し訳ないと頭を下げた。「お前のせいではない。俺がちゃんとフォローできなかった。責任を感じることは無い。」
涙が流れ、止まらなかった。

平成22年の年末、倒産そして自己破産。41才のときである。
借金のことを考えなくて良くなり、安心できる正月休みだった。紅白歌合戦を見るのも本当に久しぶりだった。

借金の抵当に入っていた実家は、競売に掛けられることになった。
貸家を探したが、自己破産した自分に貸してくれる家は無い。多くの不動産屋をまわって、ようやく見つけたのが神奈川のボロアパート。
姉に保証人になってもらい、ようやく落ち着くことができた。

住むところが見つかったが、何かをして働かなくてはいけない。自分には建築系しかなかった。
初めて入った会社に頼み込み、日当仕事を貰って食いつないだ。

若手の経営者の会で知り合った人間に声を掛けられ、UR団地の改修工事の監督を下請けで手伝うようになった。
あるとき、二人の姉妹のおばあさんが住む家を改修したとき、「ありがとう、ありがとう」と本当に喜んでもらえた。まるで孫のように接してくれた。お菓子も貰った。

「お客さんに感謝される仕事がしたい」心からそう思った。
雇い主に独立させてくれと頼み、個人でやり直すことになった。

独立したが、当然お客などいない。考えた末に前の会社時代のお客さんに、手紙やメールを出し、挨拶を兼ね再開することを説明した。
いろいろなお客さんから「また来てくれるんでしょ」言われた。
縁の大切さに気づいた。八起会五則の「いい出会い」だと思う。

倒産を忘れてはいけないと思い、八起会に電話。2年前の8月に入会した。

独立後は、建築組合の下請けをするようになり、その信頼関係の中、再起3年で建築業務の許可も得ることができた。
これで下請けでなく仕事ができるようになり、昔のお客様から新築の請負まであり、少しずつ順調に業績を伸ばしている。


野口会長の言葉。

8月6日と言えば、広島に原爆が落ちた日であるが、実は八起会の設立日でもある。
設立当初は、今のように落ち着いた状況で無く、倒産したばかりの人間が集まっていた。
毎週日曜日に集まったが、「何か良い商売は無いか」そんなことばかり言っていた。

ネズミ講やマルチ商法を持ち込む者もいて「こんな状態では一年持たない」と思った。
しかし、一年なんとか生き残れた。この感謝を一周年記念として世間にお返ししたいと考えた。

しかし、8月になれば、夏休みでありお盆がある。
考えた末、一周年記念は「7転び8起き」にちなんで7月8日に決めた。これが今でも続いている。

例会は8月だけは第四土曜日に行っている。
第三土曜日はお盆にあたるからである。年に一度のお盆。ぜひお墓参りに行ってほしい。
以前は8月の例会に必ずお坊さんを呼び、仏教の説教を聴いた。

松下幸之助は、「どうやって人を育てたのですか」と聞かれると「いつも祈っています」と答えた。
祈ることで、天から知恵を授かっていたのだと思う。

私も倒産後、いつも祈り拝んでいる。毎朝3回祈る。自宅と事務所の神棚、そして事務所の隣にある下谷神社。

「相談者に良い回答ができますように、勇気と知恵を与えてください」と祈る。
神に頼み、委ねるので安心を得る。だから、多くの相談を受けたがストレスはない。
八起会の会員が病気のときは、一人ひとり元気になるように祈る。

ある会員が喉と胃がんで入院している。
今は、皆100歳まで生きる時代。だからこそ、時々故障する。入退院は当たり前、身体の修理である。

病気をして休むと、心も健康に成る。
倒産も同じ。自分の場合は、天が倒産させてくれた。強制的に真人間にしてくれた。お金がないと真面目にならざるを得ない。

講演したNさん。これからは絶対大丈夫。
ゼロから成功する人は、@働き者であり、A環境に対応できる人間。
環境に対応できるとは、金持ちでも貧乏人でも対応できる人間のこと。

多くの人には「多角化」を勧めない。しかし、Nさんだけには多角化経営にチャレンジして欲しい。
会社を3つも4つも持って大いに頑張ってほしい。


八起会 7月例会 (2014/7/19


7月は、36周年目の年次総会を行いました。その後、野口会長のお話。関西に帰られたN会員の講演を行いました。

会長からは、36年を振り返り、八起会を金銭的にも支えた「会長の講演」について、お話をいただきました。

※ 例会の様子は、会員専用HPにアップしています。


八起会 6月例会 (2014/6/21

(野口会長考案の「幸せだるま」)

防災関連の会社を経営されている Sさんによる「私の履歴書」講演会を行いました。

Sさんは昭和22年生まれ66才。熊本県に生まれ、中学2年生のときに父親の仕事の都合で東京に状況。
高校時代に精神を鍛えるため、合気道を始め、これに没頭。自ら合気道部をつくり、50人を集めた。
20才の時に、ほとんど寝ずにいながら参加した寒稽古で無理をしすぎ、20日間意識不明の状態になる。

24才で仙台に。選挙活動を手伝いながら、トンネル工事用などに使用される防水関連の会社に入社する。7年間仙台で仕事をし、結婚後30才で東京に戻る。東京ではホンダの防災を請け負う会社に入社。

3年後に独立。最初は新築時の防災用具(火災報知機など)の販売からスタート。
当時盛んだったマンションの立体駐車場の点検業務などに拡大し、社員は20名、月商2000〜3000万円程度に成長した。

しかし、新日鉄の新商品の登場などで売上が下がり、平成8年には下請けに支払う買掛金を中心に1億5000万円まで借金が膨らむ。

当時49才。この時から60才になるまでの11年間は、ほとんど記憶がない。
必死で働き、仕事のし過ぎ・疲労で3回死に掛けた。
特に平成8年から半年は自分がわからないほど働いた。人間忙しすぎると性欲さえ失うと知った。

営業力には自信があったが、いろいろな意味で知らないことが多すぎたと反省している。
平成21年になって、ようやくほとんどの債務を返済できたが、この間に離婚、再婚も経験した。

現在の社員は15名。マンションの防災点検を中心に無理せず順調に経営できている。

八起会との縁は、会社を始める前の1981年に野口会長の本を読んだことに始まる。

会社が潰れそうだった平成8年から会長に何かと相談に載っていただいた。
正式な入会は6年前だが、ずっと前から所属していたと自分では感じていた。

今年から放送大学に入学し、学び始めている。


野口会長の言葉。

世の中、良いニュースが少ない。悪いニュースが8割ある。
殺人なども毎日のようにある。驚くことに、最近は高齢の夫婦で奥さんが旦那を殺すという事件まで起きた。

悪いニュースは、そのときだけ騒ぐが、その後どうなったかを報道しない。
リーマンショックのとき、自動車産業が危ないと言っていたが、近頃になれば最高益だといっている。

ブタの病気で2万頭死んだとき、ブタの業者は大変だろうと聞いてみたら、実は値上がりして儲けた人間のほうが多いと言う。

PC遠隔操作の片山被告は、眉が繋がっている。
昔から、多くの相談に答えるため、相手の本性を見抜く意味で「観相学」を学んできた。
「観相学」で言えば、眉が繋がっている人間は「悪巧み」をするのが多いと言う。

眉の間は目1つ分離れているのが良い相であり、たとえば自分のように「八」の字型だと、争いを好む、浪費癖あり・・・。目は横に長いほど他人に対する思いやりがあり、丸いほど自己中心。

ただ、手相も人相も変わる。変えるのに一番良いのは、八起会五則をしっかり実行すること。

Sさんのお話しについて。

相談に来た中で一番困ったのが、夫婦の問題。
もう変更ができないほど悪くなっていれば、最後は「自分が思ったとおりにするのが一番正解」。
借金がある上で離婚すると、奥さんにも仕送りしないといけないので二重に大変だったろう。

Sさんは、借金と離婚の2つの苦しみを経験して、3つの能力を得たと思う。

1)コツコツ努力する人になった。
2)まとめる能力がついた。
3)後始末がうまくなった。

もう、失敗することはない。

※ 野口会長の言葉は、会員専用HPにアップしています。


八起会 5月例会 (2014/5/17



コンビニ経営されているNさんによる「私の履歴書」講演会を行いました。

Nさんは47才ながら、八起会入会は平成2年、会員暦は20年。
倒産経験者ではなく、倒産に学ぶ現役経営者として活躍中です。

入会当時は青年会議所(JC)にも所属していたが、JCよりも八起会参加を優先した。

小さいころに岐阜から東京に引越し。当時は訛りや名前のことでイジメも受けた。
小学校のころ、実家のアイス運びの手伝いをしたが、ずいぶん怒られ嫌な思いをした。

長じて、父親が経営するアイス卸売と自動販売機の設置・補充の会社に入社。
母親の入院が原因であったが、今から考えると一時的にでも他人の飯を食べてくるべきであったと思う。

八起会に入って学んだために、会社の倒産は無いが、家庭の倒産を経験。一度目の結婚に失敗。二度と結婚しないと決めた。
しかし、縁あって感謝できるすばらしい今の奥様と再婚できた。

自分の心の中で、父親の会社を引き継ぎたい思いから、独立し自分でやりたいと思うようになった。
H15年、コンビニ経営をすることとなったが、工場中心の立地。他のコンビニの出展例が無かった。
市の条例に引っかかり、実際に店を開けるようになるまで、ずいぶん時間が掛かった。

コンビニのFC加入には最大手のS社を選んだ。
もっともFC料が高かったが、お客様の立場で考えて、お客様が一番望むFCを選んだ。

店を始めても最初はお客が来なかった。店の周りを掃除し、元気に挨拶をする中で、徐々にお客が集まってきた。今では9割が常連の顧客。

順調に行き始めたが今度は競合店が近くにできた。3割売り上げが下がり、利益は半分になった。
体制を作り直し、特に接客(笑顔と挨拶)に力を入れてアルバイトを教育し直した。

昨年は2つの競合店ができたが、今度は15%しか下がらなかった。今はすでに5%減まで戻っている。(常連さんが多いため)
人に人格があるように、店にも店格がある。これを上げてゆくのは一人ひとりの努力が必要。

うちの店は本部から廃棄が多いと言われる。しかし、夜来たときでも商品が少なければ、お客の信用を失う。廃棄は宣伝料と思って、お客様の都合に合わせている。

お客様のクレームにも感謝。クレームいただいたお客様との付き合いのほうが長くしっかりしたものになる。
マニュアルは100%ではない。自店の立地によって工夫を加えている。
以上。

野口会長の言葉は、次の通りです。

前回、「いくらあれば、お金持ちと言えるのか」という課題をいただいた。
それを自分なりに考えてみたが、答えとしては「人によって違う」としか言いようが無い。
人によっては数千万と言うし、1億と言う。どちらでも良い。その人にとっての正解。

八起会としては、金持ちよりも「心の金持ち」を目指すべき。

手形で潰したある人は「次に商売するときは、絶対に手形を使わない」と決めた。
実際に行ってみて、「手形を気にしなくて良い。これほど嬉しいことは無い」。
小さなことで喜びを得られる人。これが「心の金持ち」である。

うちの家内は倒産したとき「これで借金が無くなった。こんなに幸せなことはありません。」と言った。
小さなことに幸せを感じる人=「心の金持ち」は、心豊かな人でもある。

ある会員は倒産した上に、しばらくして脳梗塞で倒れた。
その奥様に「大変ですね」と言ったら、「いえいえ、倒産してから倒れるまでに時間がありました。それで余裕があった。とても良かったのです。」

心の金持ちは苦労した人である。苦労が元になって心の金持ちになれた。
だから、苦労は最高の教育でもある。

Nさんも苦労した人。イジメを受けたり、手伝いで怒られたり、離婚したり。
苦労したからこそ、今の幸せがある。



八起会 4月例会 (2014/4/19




2月の大雪で延期となっていた、Fさんの「雑談力」講演。

本人曰く、「上がり症で、口べた」。朴訥な語り口ではあったもののFさんの誠実な人柄が伝わる講演となりました。

Fさんは、1951年生まれ。小さい頃から親に言われ、小学校2年の納豆売りをはじめとして、様々な仕事を経験。
中学校の時には修理工の工場に。子供のいない主人夫婦に「将来の養子に」と期待され、出された豪華な食事に感動。修理工になることを決意。
自動車学校に通い、スバルに就職。2級整備士の資格も取得する。

20歳になったとき「世界旅行に行きたい」と思い立ち、安い船旅でアメリカに。
手にした5万円は船の中でなくなり、アルバイトで稼ぎ、ヒッチハイクで移動、出会ったばかりの人に泊めてもらうなどし、6ヶ月間アメリカ中を旅する。

アメリカの豊さを知って日本に帰ってからは、「もっと儲かる仕事をしよう」と考え、損保の代理店になる。

三男であることから、特に娘しかいない顧客から可愛がってもらい、仕事は順調。結婚もした。
ダメになってきたのは、保険料の自由化以降。かなり、収入が減ってしまった。

15年前、周りの同僚や先輩があいついで亡くなり、二人の子供は大学生、住宅ローンもありながら、業績が悪化。不安が募っていた。

そんなときに八起会を知る。
入会後は、徐々に借金を減らしてゆき、現在まで事業も継続している。

夢は、20歳のときに果たせなかったアメリカ旅行にゆくこと。
趣味は読書。本に囲まれて寝て、朝4時におきては、ゆっくりと読書を楽しんでいる。


今月の野口会長のお話は次の通りです。

Fさんは入会後すぐに「八起会のビデオを全て見せてください」と申し込んできた。
こんなことを言ったのは、数多くの八起会会員の中で、Fさんともう一人だけ。

八起会の事務所に来るたびに、2本、3本と借りては勉強を続けた。彼のような熱心な会員はあまりいない。

倒産者には、話し上手が多い。しかし、本当は下手なくらいがいい。

自分は、テレビやラジオに多数出てきたが、どうも普段よりも丁寧になりすぎる。
テレビでは、ついつい欠点の無いように話してしまう。

※ 野口会長の言葉は、会員専用HPにアップしています。


八起会 3月例会 (2014/3/15



「私の履歴書」と題し、O会員の人生体験を語る講演を行いました。

戦後、父親が靴の卸売を開業。品物があれば売れる時代。あっという間に資金を作った。
Oさんは、1962年に入社。4年後に白血病で父親が倒れ、経営の勉強をしないまま、社長に。

昭和30年代後半から40年代。安いビニール靴を神戸から仕入れ、業績を伸ばした。

その後「流行」で売れる時代が始まった。「ブーツ」のブームで、9800円のブーツが飛ぶように売れた。如何にたくさん仕入れできるかが勝負の時代だった。
また、10cmの厚底靴もパンタロンブームで、品物があるだけ売れた。

ここまでは、メーカーが作り、卸が売る時代だったが、徐々に「卸が企画し、メーカーに作らせる」時代に。
オリジナル商品を作りたいと思っていたところに、できたばかりのメーカーが「企画をいただければ小ロットでも作ります」と、渡りに船で売り込みに来た。

他の卸にはない商品が目玉になり、5年間は好調を維持。
事業規模は拡大し、12億の年商に育つ。

ところがその好調が悪夢に変わってゆく・・・

自社の手形が、暴力団に流れていた。調べてみると、このメーカーから仕入れたはずの品物が実際には入っていないことがわかる。入荷の無いまま、手形だけメーカーに切っていた。

その金額の合計2億円。年商12億の会社からすればとんでもない金額の手形が流れていた。ここから必死の資金繰りが始まる。
家や土地を担保に銀行から借りまくり凌いだが、結果、仕事をして儲けた利益は、ほとんど銀行に吸い取られた。

何とか借金を返し、家の担保が外れたそのとき。第二の危機が訪れる。
阪神大震災だった。

生命線の仕入先のほとんどが、神戸市長田区の中小メーカー。区画整理できていない土地にプレハブで建てただけの工場は潰れ、火災で焼けてしまった。結果、日本での仕入先を失った。

この震災を契機に多くの同業者は問屋を廃業した。早く辞めた人は大きな傷を負う事は無かったが、自分は「残ったものが勝てる」と考えてしまった。

時代的にも日本の軽産業はダメになっていた。中国から仕入れざるを得なかったが、当時の中国製品は仕入れロットが大きい上に品質も悪かった。ずいぶん騙された。

残った土地、建物も全部つぎ込んだが、平成12年ついに倒産。
債権者会議には20社が集まったが、自分を責める人間はおらず、むしろ「今まで良く頑張った」とねぎらってくれた。

小学校の頃から会社の手伝いで靴の扱いを始め長年やってきたが、時代の流れが変わっていたと思う。それに気づくことができなかった。
2代目の甘さだった。初代であれば「時代の流れ」を読むことができたと思う。

その後、八起会にお世話になり、就職先も紹介してもらえた。
就職先で必要になったため、パソコンも勉強し、今でも大変役に立っている。

経営は「場面場面で自分を冷静に見つめられるか」が重要だと感じている。


今月の野口会長のお話は次の通りです。

30周年のとき、3人のご夫人が話をしてくれた。この3人は忘年会でもいつも活躍してくれる。

そのうちのIさんはとても夫婦円満。その秘訣は夫が言いたいことを言うときは妻が黙って聞く。妻が言うときは夫が聞く。
できるだけ、口論しないようにしているのが秘訣。これも長年の失敗から学んでいる。なかなか簡単にはできない。

Oさんも体験談を語るのは辛いと思う。しかし、皆のために話してくれた。

2代目と初代の倒産の苦しみは違う。初代は「自分で起こした会社、潰しても仕方ない」と思える。しかし、2代目は初代に申し訳ないと思う。ここがさらに苦しい。

オリンピックのスケートで真央ちゃんは初日の演技で失敗し、地獄を感じたと思う。しかし、その分、次の日の演技が素晴らしく天国に感じただろう。

これを見ながら「地獄に落ちても、必ず天国に戻ることができる。」と確信できた。

※ 野口会長の言葉とOさんの講演の動画は、会員専用HPにアップしています。


八起会 2月例会 (2014/2/15

大雪の影響で講話者の会員が来場できないハプニングで、野口会長が急遽司会を担当されました。
来場者も普段の半分。少人数ながら、楽しい例会となりました。

野口会長の挨拶は、次の通りです。

若い人にとって、失敗は最高の教育。自分で失敗できない代りに、八起会で失敗者に学ぶ。

成功者と失敗者、何が違うのか?
カンブリア宮殿では「ワンマンだから成功するが、ワンマンだから倒産もする」と話した。同じワンマンでもその質が違う。

イトーヨーカドーの社長に成功の秘訣を聞いたときには「秘訣はありません。普通にやるべきことやっているだけです」と言われた。しかし、倒産した人間も普通に努力していたはず。「普通」にも違いがある。

今回のテーマは「話し下手とあがりの防止」について。
「話し上手」な人にも成功者と失敗者がいる。結婚式の挨拶を頼まれたとき、3分以内で収まるか。3分を超えてだらだら話す人は、周りのことを考えていない。

ある町に「一言町長」がいた。どんな席でも本当に「一言」で話したと言う。それが気に入られ、ずっと長く町長したという。

ある大きな食品会社の社長は、幹部200人を集めた研修会で、一言「食べ物はおいしくなければなりません」と語った。5分後にまた「食べ物はおいしくなければなりません」。この一言を30分言い続けた。この研修は、200名の幹部にとって「伝説の研修」となり、未だに語り継がれている。

自分も昔は「あがり症」で赤面症。それを克服するために、弁論部に入り、努力した。
また、講演の前には必ず、守り本尊が入ったお守りを胸に抱きながら「立派に講演できますように」と祈る。

「あがり症と口下手の克服」に対して、会員各位が次のように答えました。

・話すのは苦手。しかし、回数を重ねたら、話せるようになった。
・観音経を3回唱えてから話す。来ている人は、自分の社員と思って話す。
・営業に出て、一日10人と話すようにしている。
・小学校のころはどもり(吃音)があった。漫才を見て、関西弁や栃木弁のように話すことで克服した。
・上手に話そうとして欲張るのがいけない。
・練習あるのみ。25周年のときも一言一句間違えないほどに練習した。
・いつも新聞の面白い記事の切抜きを持っている。話がないとき、これを読む。
・聞いている人を石ころと思って話す。

※ 野口会長の言葉は、会員専用HPにアップしています。

八起会 1月例会 (2014/1/18



年初めの例会として、野口会長が司会となり、今年の目標とテーマごとの各自発表を行いました。

最初に野口会長の年始の言葉がありました。今回は、この一部をご紹介します。
今年は午年。「馬」という漢字の上がタテガミを示し、下の点は4つの足を示しています。

馬にはいくつかの諺(ことわざ)があります。

・馬には乗ってみよ、人にはそうてみよ。
・牛を馬に乗り換える。
・馬の耳に念仏。
・馬耳東風

午年生まれの特徴。(野口会長も昭和5年 午年生まれ)
長所は、知恵・才能あり。人情肌。短所は、怒りやすい。喜怒哀楽激しい。軽率。

アベノミクスで経済は上向き。しかし、良いときに悪いことが起こる。良いときには何をすべきか。

1)儲かりすぎが危ない。税金払うなら使ったほうが良いという間違い。税金をきちんと払い、内部留保すること。
2)儲かると人に騙されやすくなる。金がなかったらやらないのに、持っていると引っかかる。
3)調子に乗って、拡大しない。

※ 野口会長の言葉は、会員専用HPにアップしています。


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