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野口誠一・プロフィールprofile

代表者プロフィール




会長 野口誠一

昭和5年 東京生まれ、日本大学卒業。
昭和31年 25歳で玩具メーカーを設立し、従業員5名・月商150万円でスタート。
わずか5年で従業員100人・年商12億円を売り上げるまでに成長させる。

ドルショックと放漫経営がたたり、昭和52年に倒産。自宅や工場などの全資産を処分して負債を処理し、会社を畳む。

翌53年、倒産経験者同士が助け合う倒産者の会設立を呼び掛け、『八起会』を設立。
弁護士や税理士、再起に成功した会員らが無料で電話相談に乗る『倒産110番』を開設。
再起・整理などの実務的なアドバイスや経験談を交えた人生相談を無料で奉仕している。

昭和59年 株式会社ノグチプランニングを設立し、再起をはかり、執筆活動や全国各地で講演活動を展開している。


平成28年(2016年) 2月18日 東京都内の病院にて逝去、享年85歳。

■主な著書
『不況だから倒産するのか? ――倒産の法則 再起の哲学』
『生きてこそ―もう一度、“幸”つかむまで』
『社長の甘さが会社を潰す』
『“倒産駆け込み寺”の会長が書いた修羅場の人間学』
『失敗からの再起術』
『幸せをあきらめない―倒産を乗り越えた妻たちの戦い』
『家族の力』
『社長の失敗!私はここが甘かった』

■ テレビ出演
カンブリア宮殿 「失敗集団に学べ! 大倒産時代を生き抜く極意とは・・・?」(2009/02/16)

■ 雑誌取材(インターネットのみ)
英文のウェブマガジン IGNITION(イグニション)

■ 講演実績 ・・・ 多数
平成26年 TKC 近畿京慈会 生涯研修「新春セミナー」

野口誠一会長の人生史


(生まれたときから、7と8に縁がありました)

東京都荒川区三河島7丁目888番地で生まれる。

昭和5年11月11日 「まことに1づくし」で誠一と名づけられる。
昭和5年生まれは、俵孝太郎、竹村健一と同じ。

父親は、野口八百治郎(やおじろう)。母親は、8月18日亡くなる。
七転び八起きから八起会設立 1978年8月。体重87kg 40年間変わらず。

東京空襲で本郷中学 2年生の半ばに焼け出されて、千葉県に疎開。
学徒動員でガラス工場に強制的に1年間 働かされる。

戦争終了時15歳。勉強を再開し、赤面症克服のために弁論部を自ら作る。部長として活躍。南千葉県弁論大会を企画し、中学8校で大会を行う。これがその後、八起会を作る基盤になる。

「苦手なことをやりなさい」というが、この経験がそれを言わせている。これにより、自己改革できる。好きな趣味は金がかかるが、苦手克服は金が掛からない。

この時代は、中学が5年制。3〜5年生まで弁論部。脳梗塞の父親と一緒に牛小屋で暮らす。
母親は一人東京で中華料理屋で勤め、二人の生活費用を送ってくれた。

お兄さんは神戸高等商船学校卒業。貨物船の船長になり、毎月1000円(今の金額で20〜30万円)を仕送りしてくれた。4人兄弟 長女、長男、次女、会長で自分は末っ子。次女は結核をわずらい自殺。この亡くなった姉が自殺防止をやってくれと言っている気がして仕方ない。これは八起会を作ってから思い出した。

中学を卒業後、日大政経科の夜学に通う。昼間は働く。最初は4時に終わるタンス屋の店番、お母さんの紹介で。タンス屋さんで住むところも確保してくれた。しかし、店番は性に合わなかった。

大学時代は、弁論部と演劇部に所属。弁論大会でいつも賞を貰う。優勝も多数。

Kという代議士がスカウトに来て、選挙応援も経験。
将来の秘書を望まれるが、商売で儲けること、社長になることを選ぶ。

友人がゴムベルトで儲けているのを見て、ゴム長の製造・販売を始め、19歳から3年間 大学を卒業するまで続ける。

大学卒業後は、義兄の経営する玩具屋(ぬいぐるみ)に入社する。3年くらい。集金係として手形でなく、前金で集金する経営に移行させ、重宝がられる。

ここで、奥様に出会う。自分で事業をするためにも、働き者で健康な女性であった奥様に決める。

25歳で独立。奥様20歳。東京都荒川区町谷に「有限会社 野口玩具」を設立。

1年後に家を新築。新築祝いで銀座で組合のメンバーを呼んで銀座で大宴会。業界では、「野口はすごいヤツ」という評判を作った。この家を含めて、5年間で5件の家を建てる。

下請け会社を7社作る。それぞれが工場を作る。ぬいぐるみを何万個も生産。
朝8時から6時まで+毎日残業の日々であった。


八起会の講演に関して (2014/7月 例会にて)


(野口会長の講演会は、全国で多数開かれ、八起会の代名詞ともいえる活動の1つでしたが)

設立時は、講演をするなど考えたこともなかった。
八起会設立後3年目に講師派遣業の会社から連絡があり、講師をしてもらえないかとお願いがあったが、最初は断った。

まだ、自分自身が再起できていなかった。収入も無い。
なぜ潰れたかと言えば、私は甘い、馬鹿でした、能力が無かっただけのこと。講演は恥を晒すだけと思った。

しかし、相談を受けながら気がついた。自分の失敗談が倒産防止に役立つのではないか。

それまでは相談を受けても、すでに倒産を止められない状況まで悪化している場合が多く、弁護士を紹介するしかなかった。
そんな相談者に自分の失敗談が心のケアにもなっていた。安心を与えられていた。

一年後、同じ会社(講師派遣業)からまた声が掛かった。今度はやってみると伝えた。
それまでもテレビ、ラジオに出演し、新聞に載っていたので、誘われたのだと思う。

講師派遣業者が使う人は、99%以上が有名人。1%が無名。こういう人は、一回やらせてみて、受けたら次も使う。
最初は商工会議所や商工会を廻らせる。大抵の講師は1〜2年で使い捨てにされる場合が多い。

一番最初に講演をしたのが千葉の小さな商工会。来たのはたったの10人だけ。
最初のうち、少ない人数だったのは逆に良かった。そのうち、本も売れるようになり、人数も増えていった。

会も講演も順調だと思っていたころ、八起会に大きな問題が起きた。

講演で事務所を留守にする間、留守を預かってくれていた会員の一人が、詐欺師のような男であった。
八起会の金をくすねるだけでなく、会員も騙していなくなってしまった。

八起会を設立するとき、1つの決意をしていた。
それは「どんなことがあっても会長である自分が責任を取る」ということ。

この決意を実践するために、騙された会員の分まで自分が借金を背負う決意をした。
月々の返済が30万円にもなった。講演を重ね節約することで、返済をしてゆくことになる。

まずは会として雇っていた人間を全て解雇。代りに家内を事務員にした。

講演は、宿泊費を減らすためにある地域を一週間で、4〜5箇所まとめて行った。
九州に行けば、鹿児島、熊本、宮崎、大分、福岡を4泊5日で廻る。
食費も浮かす。昼も夜も立ち食い蕎麦専門。4日間を3000円で過ごした。

あるとき長野県で領収書にサインを求められた。そのとき初めて講演料が10万円であることを知った。
それまで、自分が受け取っていたのが3万円・・・派遣会社は7万円を懐に入れていた。

「一体、講演料とはいくらが妥当なのか?誰がそれを決めるのか」悩んでいたころ、俵孝太郎に電車で偶然であった。
必死な思いで声をかけ、この疑問を素直に聞いてみた。答えは「いくらでも自分が欲しいだけを自分で決める」であった。
さらに、俵氏は「倒産防止の専門家はあなたしかいないのだろう?ならば、もっと取れ。」と励ましてくれた。

この答えを聞いたころ、講演の依頼は直接来るようにもなっていた。
そこで思い切って「20万円!」といってみたところ、「わかりました」との返答をもらえた。

それから、ずっと講演は20万円に決めた。
そう決めたときから、講演も増えてゆき、泊まる場所も講演主催者が良い場所を用意してくれ、良い食事もいただけた。
平成11年から14年までは、年間100回以上。最高では164回行い、ようやく借金も全て返済できた。

そんな中で忘れられない出来事がある。
東京の某団体での講演の際、講演料として30万円をいただいた。多すぎるので、10万円返そうとしたが受け取ってくれない。

そこで、この30万円を東京都に全額寄付した。
「寄付とはこんなに素晴らしいものなのか」。寄付をした清清しい思いに自分自身が感動した。
その後、毎年のように自分の誕生日には東京都に寄付をしている。
八起会に飾られている東京都や台東区の感謝状が多いのは、このような理由がある。

なお講演料は、金婚式を機に半分の10万円で受けることにした。
予算の少ない団体でも、自分の話を聞いて欲しいと思ってのことである。

実際に講演を行う中で、思ってもいなかった問題に出会うこともある。

ある経営者には自分の会社が潰れそうなのに、経営者の会で名誉職を受けていたので辞めるように指導した。
その会の名前を出したら、会の関係者から「うちの会は悪い会ではない」「変なことを言わないでくれ」と言われた。

もちろん、悪い会ではないと思う。問題は見栄を張って潰れそうだから辞めるよう指導しただけ。
しかし、会の関係者から見れば、会の悪口を言われたと思ったのだろう。それから会の名前は出さないようにした。

とにかく苦労しないと本当の意味で、良さがわからないのだと思う。
自分の場合、講演では最初に苦労した。人数も少なく、泊まるところも食事も悪かった。
徐々に人が増え、講演料も増えた。高級ホテルに泊まり、良い食事もいただけるようになっていった。
そう考えれば、最初に苦難を経験させてくれた派遣会社にも感謝である。

逆に言えば、好況のとき、儲かっているとき、楽なときが一番危ない。

埼玉で高級花のランを生産者する農家の二代目が、儲かって仕方ないという。だからこそ、講演で喝を入れて欲しいといわれた。
調子の良いときに、危機を感じるその精神がとてもうれしく感じた。



八起会(倒産110番)


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